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東京からわざわざ茨城に髪を切りに行くやつ

文:チャプ太郎

 新しい街に引っ越したとき、行きつけを見つける作業が発生する。一番近いコンビニはここで、どうしてもセブンイレブンに行きたいときはここまで足を伸ばそう。スーパーは3軒あるけど、帰り道で買い物をするならここかな、品揃えがいいから週末はここまで買いだめをしに来よう。そうした日常使いのお店だけでなく、映画を見るなら隣駅のイオンまで自転車で行って、家具や家電はターミナル駅まで出て、といった具合で生活をイメージする。

 そんな中でも、一際行きつけを見つける作業が難しいお店が美容室だと思う。今の街に引っ越してきて2年以上経つが、その行きつけ探しに苦戦した挙句、僕は今往復4時間、3000円の交通費をかけて髪を切りに行っている。引っ越してから1年半の間、近くの街に住む友人に通っている美容室を紹介してもらったり、その中でも何人かの美容師さんに切ってもらったりしていたが、どうもしっくりこない。美容室に行くたびに浮かない顔をする僕を見かねて妻が「箱守さんのとこ行ってきなよ」と言ってくれた。

 久しぶりに僕の髪を触った箱守さんは、「あー、これはここを切られすぎちゃってますね」と一瞬で問題点を見抜く。数ヶ月をかけて、僕の髪は納得のいく形を取り戻しつつある。箱守さんとの会話は問題ないが、東京から通ってきている事情を知らないアシスタントの方が、シャンプとブローをしてくれている間の会話には毎度苦労する。毎度違う方が担当してくださるので、「今日はお車で来られたんですか?」と聞かれ、最初はなんとか話を合わせようとするのだが、こちらは東京から電車と徒歩(もしくはレンタル自転車)で来ているので、どこかでボロが出る。「東京から来ているのだ」と伝えると、「茨城から東京に髪を切りに行く人はいますけど、茨城に髪を切りに東京から来る人は珍しいですね。普通逆ですよ」と笑ってくれる。間違いない。

 引っ越す前まで、前職の勤務地だった茨城県つくば市に2年ほど住んでいた。縁もゆかりもない土地に1人暮らしで、友人とも気軽に遊べない距離となってしまったことに加え、程なくしてコロナ禍に襲われ孤独を極めることになる。つくば市は完全なる車社会で、僕も結果的に車を購入したのだがそれはまた先のお話。美容室を選ぶ基準は、家から自転車で通えることだった。ホットペッパービューティーでマップを見て、一番近い美容室に予約を入れる。2回目の訪問時が僕と箱守さんとの出会いになった。

 箱守さんは、髪を触っただけで僕の髪の悩みと「こうするといい」を的確にアドバイスしてくれ、「すぐにはここまで伸びないので、何ヶ月かかけて完成させていきましょう」と話してくれた。それだけで安心感と確かな技術を感じさせ、僕は箱守さんのファンとなりつくば市に住んでいた2年間通い続け担当をしてもらうことになる。ときには「マッシュっぽくしてみたい」や「センターパートにチャレンジ」といったわがままに応えてもらったし、前日の飲み会で飲みすぎて二日酔いで行ったこともある。

 箱守さんは95年生まれの同い年だということが通っているうちに判明した。その頃にはInstagramのアカウントをフォローし合う仲にもなっていたので、プライベートの様子とのギャップに驚いた(美容師のアカウントをフォローしたのは後にも先にも箱守さんのみである)。箱守さんは車が好きで、シボレーをカスタムして乗っているのを見ていたので、失礼だが、てっきりもう少し稼ぎが多い年上の世代の方だと思っていたのだ。

 知り合ってからの数年間に箱守さんはスタイリストから副店長、店長とあれよあれよと昇進し、ついには今年美容室を運営する会社の取締役に就任した。プライベートでも、結婚し、マイホームを建て、つい最近2人目のお子さんが生まれていた。その度に「おめでとうございます」と伝えると、箱守さんはいつも壁一面が窓ガラスとなった日当たりのいい店内で「あとは頑張るだけですから」と鏡越しに笑う。

 なんでそんなに頑張れるんだろう、と素直に尊敬の念が立つ。箱守さんの話を聞いていると、結婚こそしたが仕事ではパッとせず、週末は10年来の友だちと遊ぶことがいまだに多い自分の子どもっぽさが際立つ気がしてしまう。つくば駅から徒歩30分、かつてよく歩いた道でジリジリと照らされながら考える。ただもう、技術だけじゃないのだ。箱守さんのことは僭越ながら友だちのように思っていて、話すたびにその姿に刺激をもらい、自分が勇気づけられたくて通っているのだと気づく。そうしてまた話したいからホットペッパービューティーを開く自分がいる。そろそろ襟足が伸びてきた。

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