忘れ物は取りに戻りましょう 【第二十一話】
そんな理久の顔を覗き込むようにしていた泉に気づき、ぎょっとする。
「な、なに」
「本題なんだけど」
「は? 俺はむしろ今のが本題で」
「バイトをしない?」
「はあ?」
「お金に困ってるんでしょう?」
「あんた、失礼って言われないか」
思わずムッとして言い返すと、泉は心なしか身を縮こませた。なのに無表情なのは一切変わらないものだから、特に反省しているようには見えない。
「言い方が悪かった。……お金が必要なんでしょう」
「全然変わってないんだけど」
「とにかく、今のわたしにはあなたが必要なんだ」
「なんで」
「霊と手を繋げるなんて、わたしには出来ないから」
「……えーと? てことはもしかして、バイトって」
「忘れものをしている人間に会った時、それを取りに戻るのを手伝ってほしい」
やっぱり。
その瞬間、理久は背筋がゾクゾクとする感覚に襲われた。意味のわからない冷や汗や動悸。あんなこと、二度と経験したくない。即答の他なかった。
「無理」
「でもあなたは、あの子に同情した。気持ちがわかるって思ったはず」
「だとしても」
「それはあなたが今何よりも必要としているものではないの?」
「え」
「人の気持ちを考え、慮り、それを受けて表現する。役者には必須なはず」
「なん……」
図星だった。
理久はこれまで生きてきて、誰かに対して『気持ちがわかる』と思ったことがない。こうして欲しいんだろうな、こうすればいいのだろうなという解決方法を探ることはできても、本当の意味で寄り添ったことがなかった。
正しくは、寄り添えたことがなかった。
だからこその、伊丹からの苦言なのだ。感情面での芝居が表面的すぎるということ。
理久の頬を風が撫でていく。ふと目線をずらすと、街中を歩く人々の顔がすぐ近くにあった。人の数だけ想いがあり、苦しみがある。感情がある。
自分はそれを、本当の意味でもっと理解しなくてはいけない。
「って、なんであんたがんなこと知ってんだよ」
「見ていればわかる」
「いつ見たんだよ」
「あの子が心配で、数日尾けていたから」
尾 け て い た ?
「……いや俺、その女の子の霊がまわりにいたって聞いたから、リアルなストーカーなじゃなくてよかったって、ほんのちょっとはマシに思ったところだったんだけど」
「そんな人がいるなんて、舞台役者も大変だな」
「いや、あんたがしてたことがストーカーだよ」
「……?」
泉はわずかに目を開きながらも、やはり感情はあまり伝わってこない顔で理久に疑問を投げかけている。
……だめだこりゃ。
理久も人のことは言えないが、どうやらこの泉も色々と問題がありそうだ。そういえばと、昨夜の一幕を思い出す。
『誰にも話を聞いてもらえない寂しさは、わかるから』
決めた。
理久は顔を上げた。
「……で? バイトだって?」
「そう。先ほどその、画面が見えてしまって……その警備バイト以上は出すから、こっちに絞ってほしい。当然役者を辞める必要はない」
「えっ、マジで? 深夜の警備はワリがいいからやってんだよ?」
「あなた、怖がりそうだから。その分の上乗せ」
「あ……」
そうか、と理久はひとりごちる。
泉に雇われるということは、昨夜までのような体験が山ほど待っている可能性が高いということだ。
──だが、理久は一瞬にして迷いを吹っ切った。
自分の芝居に足りないもの。
それがどうやら、夕日泉に雇われることによって補っていけそうだからだ。
「……夕日泉、だっけ」
「なんだ? 伊澄理久」
理久は姿勢を正して泉と向かい合う。
「……じゃ、よろしくお願いします」
「こちらこそ」
どこか何かが欠けているようにも見える二人が組み、想いを抱いて彷徨う霊に話を聞き、人間の元へ向かって『忘れもの』を取りに行く。
自分にできるだろうかという不安は、今の理久にはもうなかった。