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四国歩き遍路の記憶#024 22日目 2006.3.16 42-43番 卯之町

こんにちは。
四国遍路の整理に挑戦中 とっつーです。

愛媛産のポンカンを食べつつ書いています。
美味しいし水分補給にもなるけれど、たくさんお接待されると重くて悩ましいのが柑橘だったなぁ…


2006/3/16(木)の概要

 天気:豪雨      14.9℃/4.0℃
 札所:42.佛木寺  43.明石寺
 移動:徒歩 12km
 宿泊:まつちや旅館(旅館)
 起床:6:00  就寝:22:00
 支出:7404円
8:00~15:00 歩き遍路
凄まじい豪雨で、早々に進むことを諦めます。

図1. 移動の記録 2006/3/16(へんろ道全体)*1
図2. 移動の記録 2006/3/16(部分拡大)*1

豪雨とトンネル

町内を流れる「喜びの歌」に起こされた16日は雨でした。時間が経つほどに雨脚も強まり、道路測量の人達とボヤき励まし合うような豪雨になったので、峠越えはせず国道を進むことにします。

トンネルはまだかなぁ…と思いつつ顔を上げたら、目の前に歯長トンネルの入口がそびえていた。霧が濃すぎて気が付かなかったらしい。
トンネル内も霧で前が見えない。霧に光が拡散されるのか、どこにも影がなくて全体的にボヤ~っとオレンジに明るく、不気味。トンネル内では対向車が増える。車は見えないが、ライトが見えるともの凄くホッとする。

2006/3/16 日記より

時間感覚も方向感覚も失くなる空間にいると、感覚を取り戻せる車の存在に安堵します。とは言え、濃霧で車が見えないということは運転手さんからも私が見えないということです。対向車しか来なかったのは幸いでした。
その後も雨脚が強くなり続けるので、昼過ぎには先に進むことは諦め、近くの宿を取りました。

期待しているとお接待は訪れない

日記を読み返すと、3/15・16と「期待している時には お接待されない」とあります。今までのお接待率が異常だっただけな気もしますが…

車からお爺さんが声をかけてくる。乗せてくれないかな…と期待してしまう自分がいる。………「頑張りなさい。」と言って去っていく。車がくると「乗せてくれないかなぁ…」と思ってしまう。そう思っているときには、お接待とは巡り会わないものらしい。

2006/3/15 日記より

車が止まりオレンジの傘をさした男性が降りてくる。もしや乗せてくれる…?と期待がでる。期待している時はお接待されないのに。
「佛木寺ってどこですか?」と聞かれ「この道をまっすぐ行くと左手に山門があります。車なら2分もかからないと思います。」と答えつつ無性に虚しくなる。これまでも「車で○分」という看板を見て「歩くと△時間か…」と思うことはあったけれど、この時ほど虚しく思ったことはないように思う。

2006/3/16 日記より 

思考がマイナス気味なのは…豪雨のせいってことにしておきましょう。

札所を打つ

※ 泊まったお宅の位置はフェイクです
図3. 2006/3/16 に歩いた「へんろみち」 *2

< 42番 一カ山 佛木寺 >
一カ山のは、王偏に果で「王果」と書きます。
間違えて、山門ではなく社務所の横から入りこんでしまいました。

佛木寺 山門
雨の様子が伝わるかなぁ…
佛木寺 大師堂
ここにも伊達家の竪三引両紋がありました
九曜紋は…伊達家関係ではなく真言宗だからでしょうか
藁葺きの鐘撞堂が特徴的です
手がかじかんで、何度撮り直してもブレる (TдT)

< 43番 源光山 明石寺 >
現在はめいせきじですが、古くはあげいしじと言ったそうです。

「願掛けをして巨石を山の上に運んでいた女神が、夜明けの光に驚いて石を置いて逃げた」という伝説にちなんで「あげいし」と言うとの立て札がある。分かるようで分からない……(;´Д`) 

2006/3/16 日記より

基本、伝説や逸話って謎ですよねぇ……
このお寺で、2/243/2に徳島県内で会った歩き遍路さん1名と、3/103/11に足摺岬で会った歩き遍路さん2名と再会もしました。

明石寺 本堂
苔が生き生きとするのは 雨の日の良いところ
赤瓦が特徴的です

< 白王権現(明石寺 奥の院) >
寂れた雰囲気ですが、お参りしている方がいたので尋ねたら奥の院でした。

白王権現
見にくいですが祠の前に大きな水たまりができていました

卯之町:町並み と 開明学校

宿に向かいつつ、重要伝統的建造物群保存地区の卯之町の町並みを眺め、開明学校に寄ってみます。
雨で進むのを諦めたのに寄り道はするんかぃ (;´д`)
雨宿りした民具館は収蔵品の量が圧巻でした。
開明学校は、重文指定にもなっている四国最古の学校です。シーボルトの弟子・二宮敬作が始めた私塾が基となっているそうです。

卯之町の町並み
古い町並みですが、生活感もあって心地良い町でした
開明学校へ向かう道
マンホールの蓋の 開明学校
本物の 開明学校
教室の様子
濡らさないように靴下も脱いだのですが
それでも足跡が付いてしまうほどビショ濡れでした
開明学校 2階の窓からの眺め

宿:まつちや旅館

出迎えてくれたのは朗らかな女将さん。
靴と雨具を専用の乾燥機にかけてくださり、この雨では出かけるのは大変だろうと簡単な夕食もお接待してくださいました。ありがた過ぎる(T^T)
二槽式洗濯機が使えるかと心配もされました(笑)

明日の予定

寝る前に翌日の予習をしていると遍路地図に気になるものがチラホラ。駅の近くにいるので、明日は少し電車を使って観光時間を稼ぐことにしました。
歩き遍路より観光がメインになってきてる(;´д`)


★各図の出典★
図1〜図3はネットから図を借用し作成しています。
※1: 「四国遍路」 基本情報|日本遺産ポータルサイト詳細(PDF)を加工して作成
※2: 歩き遍路のための「四国遍路」巡礼マップ | 聖地巡礼 四国遍路 | 回遊型巡礼路と独自の巡礼文化一括ダウンロード(PDF)を加工して作成

日記の原文

note記事を利用して手書き日記のデータ化もしているのですが、私的なものをフルオープンもどうかと思い、原文は有料化という鍵をかけています。
自分にしか分からない書き方の部分は、補足を付けてあります。

日記の内容も、かなり観光メインになっています。
久しぶりに、かなりまともな食事をしている一日でもありました。

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