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正覚院

成り立ち

正覚院のおしどり伝説 新川一帯、北は今の城橋あたりから、南は正覚院の入り口付近にある弁天社のある所は、以前は阿蘇沼という沼だったらしい。
保元年中の頃、平真円という侍がおり殺生を好んでおり、阿蘇沼で鴛鴦(オシドリ)の雄を射止めた。その夜、霊夢でオシドリの雌が夫を殺された悲しみの歌「日くるれば誘いしものを阿蘇沼のまこもがくれの一人寝ぞうき」と詠じたのを見たが、翌朝目覚めると前日捕まったオシドリの雄に嘴を重ねてオシドリの雌が死んでいたことから、無用な殺生をしてしまったと後悔し、出家して館に持仏道を建てたと言われている。
正覚院は、鎌倉時代の典型的な武士の館跡(正覚院館址)で土塁、堀が残されている。
八千代市に残されている館跡では最古のものらしい。

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土塁 空掘など

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おしどり伝説で知られるお寺だが鎌倉時代から武家屋敷として機能していたようで入り口あたりと山際のほうに一部土塁が残されている。
千葉県指定有形文化財指定の木造釈迦如来立像が秘仏としてあり、4月のご開帳のときしか見ることができないが近くの郷土資料館によくできたミニチュアがあります。

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