岩田奎『膚』


岩田奎句集『膚』(ふらんす堂)

岩田奎の第一句集『膚』(はだえ、と読む)。その名の通り肌に関する句が印象に残った。もっと広く言えば、外部と内部、それらを隔てるもの、に関する句。
たとえば、

鶯やほとけを拭ふ布薄き
仕舞ふときスケートの刃に唇映る
しりとりは生者のあそび霧氷林
雪兎昼をざらざらしてゐたる
寒鯉を暗き八雲の中に飼ふ
ただようてゐるスケートの生者たち

この句集の表紙に描かれているように、人間は薄皮一枚を境にしている血袋のようなものであるけれども、それは目に見えるものではないし、そんなことは普段考えない。しかし、目にしてない、考えていないだけで、この宇宙のなかの現実として、それらは常にある。その現実を、言葉にしたとき、俳句にしたときに、なぜか心が動いたりする。それがとても面白い。

以下、好きな句。

天の川バス停どれも対をなし
孕鹿日はうつとりと水に死す
履歴書と牛乳を買う聖夜かな
もう雨の日を知つた白靴でゆく
夜のはてのあさがほ市にふたり来し
手袋を銜へ高崎行を買ふ
にはとりの骨煮たたする黄砂かな
栓抜けば七味こぼるる滝見かな

岩田奎と知り合ったのは、2021年に出した阿部青鞋俳句全集の有志の読書会がきっかけだった。細村星一郎の発起によるこの読書会で最も目立っていたのも、岩田奎だったと思う。

そんなわけで彼と僕はなんとなく知り合いになっていたのだが、偶然、彼が波多野爽波を題材の一つとして卒業論文に取り掛かっていることを知り、それがちょうど暁光堂の爽波俳句全集を作成していた時期と重なっていて、いくつか資料を提供した。結局は、その縁で彼に爽波の句集未収録作品を選句してもらうことになった。ありがたいことである。

靴箆の大きな力春の山

ところで、僕が爽波の第一句集を読んだときに抱いた感想は「最初からずっと上手い」だった。岩田奎への印象も、それに重なる。注目すべき才能が同時代にいてくれて、とても嬉しい。

※この句集は作者からご恵贈いただきました。感謝いたします。

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