下村槐太の俳句
新刊の紹介をしたい。
下村槐太俳句全集
Amazon Kindle、ペーパーバック、の2種類で読むことができる。
下村槐太は明治43年、大阪市に生まれた。
工場経営者の父を早くに喪い、中学を中退して家計を助けていた槐太だったが、15歳の頃に自宅の近所で、岡本松浜の「寒菊」が創刊される。これをきっかけに槐太は松浜の指導を受け、俳句の世界に足を踏み入れた。
無職日日枯園に美術館ありき
つみふかき女人と梢の雪を見し
露葎眺むることを祷とす
夜の霜いくとせ蕎麦をすすらざる
切実さと透徹さが極まって、ぐっと胸を突くような、そんな味わいは槐太の俳句に独特のものだろう。
特に昭和20年以降の「金剛」時期の作品の完成度は注目すべきところがある。
女人咳きわれ咳きつれてゆかりなし
葱を切るうしろに廊下つづきけり
目刺やいてそのあとの火気絶えてある
らちもなき春ゆふぐれの古刹出づ
死にたれば人来て大根煮炊きはじむ
人ゆきて我往かねども寒き畦
河べりに自転車の空北斎忌
跣にて梢わたらば死ぬもよし
わが死後に無花果を食ふ男ゐて
あまりにも菊晴れて死ぬかもしれず
何もなく酢牛蒡に来し日のひかり
冬の槙音楽ひつかかりたゆたふ
心中に師なく弟子なくかすみけり
四時ある国の氷雨にあしび咲き
松浜から受けた徹底的な指導、自らを俳句の鬼と称するほどに妥協を許さない姿勢、処世に疎く経済的に恵まれない人生、それらが一体となって、槐太の俳句の魅力になっている。
一方で、潔癖とも言えるような、槐太の姿勢は味方を作るよりも、むしろ軋轢を多く生んだ。「火星」の編集脱退、主宰する「金剛」の突然の解散、そして俳句断絶宣言。
結局、槐太が俳句の世界に戻ってくるのに12年の歳月を要した。沈黙をやぶり、再び個人誌「天涯」で発表された槐太の俳句は、かつての有季定型ではなくなっていた。
きみの墓地見てきた飯食いに行こうや
手はつながないよあの雨粒終焉だな
これらの作品は以前の有季定型を期待していた人たちを失望させたが、理想を追って苦しむ人間臭い姿もまた槐太の魅力であるだろう。
何も書けなくなりて彼岸をなぜか待つ
明日の昨日ではない今日の海の音
結局、下村槐太の個人誌「天涯」は3号で幕を閉じた。昭和41年12月25日に槐太は病のため、56歳でこの世を去った。没後、金子明彦らの尽力により、生前に槐太が編纂していた句集「天涯」と、旧門下生有志による「下村槐太全句集」が刊行されている。
今回の『下村槐太俳句全集』では、句集『天涯』を置き、後半に『天涯』未収録の全句を編年で並べた。下村槐太の俳句を見渡せる一冊となっている。
また巻末に個人誌「天涯」1号に掲載された金子明彦への手紙、及びあとがきを収録した。こちらも槐太を知る手がかりになると思う。
俳句に厳しく向き合ったひとりの俳人の記録を、ぜひ読んでみてほしい。