人生の最後に食べたい物

Q.人生の最後に食べたい物は?

という質問に関する答えは決まっている。

A.「おかんが作った焼き飯」と「ケンタッキー」

である。
答えが2個いうのはずるい、という反論は受け付けない。この2つはもはや'選ぶ'という次元にないのだ。

おかんが作った焼き飯に関しては、高校時代のお昼ご飯に、二段弁当すべてに焼き飯がギュウギュウに入っているお弁当を作ってもらっていた事実を述べれば、焼き飯に対する愛と執着は十分伝わるだろうから今回は割愛する。

今日の主役はケンタッキーだ。

地元の駅前にあった「白いおっさんの置物があるお店」で白いおっさんが海の向こうで考案した孤高のフライドチキンを始めて食べたのは小学生の頃だったと記憶している。
父親が買ってきてくれた肉の塊を食べた瞬間は今でも覚えている。

こんな美味いもんがこの世にあるんか!!!

漫画だったら躍動感のある吹き出しに太文字で書かれると思う。
ワンピースなら見開きで「ドン!」だ。キングダムなら顔から汁が飛び出しているだろう。
もはや口から漏れ出ていたかもしれない。(声が)
(余談だが、このセリフはこの後の人生で何度も驚嘆と共に使われる言葉である。例:始めてのテリヤキバーガー、始めてのカプリチョーザ、始めての天下一品、始めてのマドレーヌ、etc...)

そこからケンタッキーの虜になった‥と言いたいところだが、ケンタッキーに心身ともに浸り、胸にケンタッキー型のタトゥー(精神的な)を入れるのには少し時間がかかる。
そう、ケンタッキーとは'すれ違う'のである。

恐らく出会いから5年以上はケンタッキーを食べる機会がなかった。
まぁ今考えると小さい子どもに食べさせまくるような物ではないと思う。
まだまだ子どもの少年はしばらくするとケンタッキーの事などは忘れてどうやったらけん玉が上手くなるかばかり考えていた。

高校生になると、両親からお小遣いをもらい1人でご飯を食べる事が増えた。
いつも500円もらって、近所のお弁当屋さんでお弁当を買って食べていたのだが、冷蔵庫にある余った食材を使ってなんか適当に作って食べることもあった。
そんな時、普通はもらった500円は返す、もしくは次に使う事になるのだが、「冷蔵庫の物で適当に済ませたわ〜」とは言わず、次のご飯タイミングにも平然と500円をせしめるズル賢い高校生だったので、以前使わずに貯めていた500円と合わせて、なんと次は1000円もの大金を食に費やす事ができるのだ。

当時は1000円あれば何でも食べられると思っていた。
いや、実際食べられていた気がするのだが、いつのまにか外食すれば1000円を超えるのは仕方ない時代になったのかと考えると、「1000円の価値」引いては「お金の価値」というものを考えさせられる。
要するに「いくらあるか」という量ではなくて、「何を買えるか」という質の問題でしかないのだ。
つまりお金で買えるものは時と場合によって価値が変わるもの、お金で買えないものは価値が不変のもの、であると思う。
どちらが良いとかの話ではないが、たくさんの娯楽が増えて、お金で買えるものが増えていっている世の中で、じゃあ尚お金で買えない不変の価値があるものって何なの?と考えるのも悪くないと思う。
後述で申し訳ないが、このお金の件は本筋とは何も関係ない。

話は逸れたが、そうして'当時'無敵だった1000円を手に入れた1人の少年はあの白いおっさんと再会するのである。(まさに白い恋人‥)←すんません

つづく
#エッセイ
#ケンタッキー

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