テレビアニメーション 設定制作のこと(原作とは無関係)その6

「こんな話やりたくねえよ」

キャラクターデザイナーは言った。いやまあそんな回もあるだろう。とはいえ仕事としてこなさない局面もあるのではと僕は思っていた。

しかしそれは甘かった。

無責任艦長タイラー第6話は、絵コンテ決定稿(監督が切ってた)、美術設定も上がったところで制作中止になった。そんなことあるのか。さすが最前線のアニメーション制作現場。クリエイターの意向は通るもんなんだと、その時は素直の感動した。

だがあれから29年。デザイナーが嫌だからと言って制作中止になった話は寡聞にして知らない。そのキャンセルされた第6話は欠番となるも制作話数は混乱を回避するため、そのままになった。

以降制作話数と放送話数に1つ差が出ることに。制作話数第7話が放送話数第6話となり、最後までそのままになった。

よってタイラー最終回のコンテ表紙には27/26と表記されている。

後に新世紀エヴ○ンゲリオンの制作デスクも務めた堀川さん(後のPAワークス社長)曰く

「タイラーのほうがエヴ○よりキツかった…」

無責任艦長タイラー制作開始から半年、すでに当初のチーフライターは降板させられていた。

2話のディレクターも5話のディレクターも去った。

僕より2歳若かった新人の制作進行も原画の回収に出かけたまま帰ってこなかった。

放送日が決まらぬまま、延々と先の見えない高密度作画を強いられていた作画スタッフのストレスも最高潮に達し、ある日作画スタッフが全員スタジオをボイコット、信州に旅行に行く事態が発生した。


日本初のテレビアニメとして初めて製作委員会方式で作られた、放送中に映像ソフトを売って映像そのものを商品にしようと目論んだアニメ「無責任艦長タイラー」は、信じ難い混乱の中で制作されていた。

僕もあまりの混沌ぶりにギブアップし、最終回制作No.27話(放送話数26話)の設定制作業務が終了したところで、放送を待たず白馬スタジオを辞した。

今思い返しても、全てが滅茶苦茶だった。

だがあれから29年が経った今、僕にとってアニメーション制作現場と思えるのは、あの時のタツノコプロ白馬スタジオだけだったのかもしれない。



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