昭和の女の語りと、多様な人生について

先日、80代の女性と50代の女性とお茶をした。

 80代の京子さんは、30年ほど実母の介護と家事育児に明け暮れ、数年前に夫を亡くし、今はお孫さんと二人暮らし。お孫さんは、国家資格を持つ多忙な若者なので、家事を全部するのだそうだ。
 おせちも全部手作りをするし、お料理がおいしいから、子や孫が自然と寄って来て、くつろいでいき、そしてお惣菜なんかを持たせて帰すのだと。長男は最初の結婚はだめになったけど、今のお嫁さんにあたる人たちも、京子さんのご飯を食べて、昼寝して、お土産をもらって帰っていくのだそうな。

 60代の真由美さんは、家業の工房の隣に長男夫婦のために家を建ててやり、共働きの長男夫婦の負担を軽くしようと、孫も預かり、ご飯も食べさせてやっていたそうな。
 しかし、最近、長男夫婦は離婚することになった。理由は、お嫁さんが「私の居場所がない。お義母さんがいたら私はいなくてもいいのでしょ」と主張して、結果的にお孫さんたちを連れて出て行ってしまったと・・・。

京子さんは言う。「うちとこも、息子の最初の結婚はそうやった。育ちが悪い女につかまったんやわ。うちも向こうのお母さんからどえらい剣幕でののしられたわ。けどな。真由美ちゃん。今のお嫁さんには、私はなんにも言わへんのよ」

真由美さんが言う。「親戚の法事にも、私は関係ありませんからって来ないようなお嫁ちゃんやったしね、少しでも家族の輪に入った方がええと思って、いろいろ気を遣ってたんやけどね・・・そんなこんなで激やせしたわ・・・」


二人の話を交互に聞いて、私はクラクラした。どこまでも家族に尽くし、苦労する昭和の女の人生だ。
 昨今では、ジェンダーとか多様性とかダイバーシティとか言うけれど、それ以前の男女平等だのウーマンリブだの言っていた、その地点ですらない話だ。
 他にも、旦那の女遊びだの借金だの、古式ゆかしき祭りの伝統だの、古来からの家を守る女の話は、まったく尽きることはない。

 二人は、自分の話を一通り終えると、私を見て言った。
「かおりちゃん、これからやで。これからいろいろあるしな」って。

いーーーーやーーーーーーーー。勘弁こうむりたい。。。
当然の素直な感想である。
けれども、そんな苦労をしてきたふたりの表情はどこか晴れやかで誇らしいのである。きっと「私は私の務めを全うしたし、今もそうである」というような気持ちがあるのではないかと思った。
 Yes,それも人生。である。


ところで、その場には、私より年上の独身女性がいた。
京子さんと真由美さんは、その人にもこう言ってしまうのだ。「あなたもこれから、いいひとにあうかもしらんしなぁ、これからあるかもしれんよ」と。
彼女は苦り切った顔で答える。
「いえ、私はもう、そういうのは・・・ほんと、私はないので」

そう。
家庭の話になると、家庭を持たないひとが置き去りにされる。だからふたりのそれは、彼女を会話に入れてあげようとした配慮だったと思う。
でも、きっとそういう「良かれと思った配慮」に何度も何度もさらされてきたであろう彼女は、苦笑いで場をごまかすしかなくなる。

何も言わなきゃいいのに、と私は思う。触れる必要もないではないか。
彼女は感じよく、「大変ですねぇ」と相槌を打って、社交性を保っているのだから、そのままそれを尊重したらよいのではないだろうか。
彼女の「ほんと、私はないので」に続く言葉は「だから、触れないでください」「ほっといてください」なのではないかな、と思う。

家族のことで苦労を重ねた女性が家庭の話ばかりになるのは致し方ないし、愚痴の発散はしたらよいし、それはそれでよいと思う。
だけど、その場にいる人みんなを、同じ土俵に引き込もうとする会話のつなげ方は、よくないよな。

ああいう時に、自分の話をしない彼女に対してスマートなやり方があるとしたら、「ごめんね、自分の話ばっかりして。聞いてくれてありがとね」だけで終わるのがいいのじゃないかなぁ・・・とか思うのだけど、どうだろう?









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