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僕の病

夢のような現実を歩いている感じ、はずっと持っている僕の感覚だ。不遇の日々を送る中で自分から願って手に入れた。電車のポールに手で掴まり下に垂れた腕を見つめる。ポールを掴んでいる感覚はあるがこれが自分の腕だという実感がない。ないというかなくなるように念じている。感覚はあるが実感はない。手をかざして空を見る。手をかざすのはこれが夢ではないと実感するためだ。どれだけ長く手をかざしても現実感は感じられない。起きてしまったら夢が始まるのだ。夢を見ている間だけは現実感も気にしなくて済む。なぜかって夢だから。夢は曖昧でぼんやりとしている。現実は違う。現実は現実感を感じなければいけないと焦らせる。けれども現実感は無いままだ。夢を見て現実感から離れ目を覚まして現実感を手に入れようとする。「ここは俺に与えられた地獄なのかな」そうエドワードは呟く。彼もまた現実にぼんやりとした非現実感を感じている。僕らは「離人症」と診断される。生きていても現実感がなく体がロボットのようなイメージで動き世界と自分との間に薄い膜がかかっているような状態のことだ。あらゆる苦痛も緩和し現実感が喪失する。心に傷を負うと患うらしい。僕は家庭内虐待と学校内暴力でこの病を患うに至った。原因となった経験は悲惨だがこの感覚を手に入れてからは幾分か楽になったと思う。離人症は僕を救ってくれた。しかし現実感を感じられないことに戸惑いも感じる。それでもひたすら現実感をなくし夢を見ている感覚に浸ろうとする。僕は現実を拒否し夢を見続ける。離人症とは永遠に続く深夜のパレードを見せられているような感覚でもある。人は役を演じ僕はそれを遠くから眺める。文章がまとまらないのでここまで。

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