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昼1/20

自分は子供の頃から夢を持ったことが一度もないけれどこの機会に小さな夢を僅かながら携えて生きていくのもありかなと思ってきた。幼稚園の頃の夢は「かえる」にした。発表の時に変えて「へび」にした。なんで「かえる」じゃないの?とカヲリ先生に聞かれて両手を上下に上げ下げしながら口のぱくぱくの様子を表現しながら「かえるになったら食べられちゃうから!」と幼児を演じた。その頃はもう子供騙しは通用しなかったしそれは年に2回は遊びに行ったディズニーランドに夢を持たなかったことと関連してるし将来の夢なんて何もなかった。小学生の卒業作文で書いておいた夢は「ウーパールーパーをとても良い環境で飼育すること」という夢も何もないただの趣味だった。皆んなはこうなりたいああなりたいと願うのに僕は夢を見たことがない。何も抱いていなかったし日常はすでに初めから誰かの見る夢のようだった。金銭に困ったことはなくよく遊びよく学びそういった環境が初めから用意されていた。なんて恵まれた少年期!でも母からは虐待されていたし同居し始めた祖父母からも嫌がらせを受けていた。恵まれた子供時代かと聞かれれば違うと答える。貧困を知らないけれど家庭や学校で育まれたはずの「なにか」に欠けた時代を送っていたように思う。僕は夢を見ない。将来に願いがない。でもそんな時代はもう終わらせよう。夢を抱き情熱を持って生きたい。暮らしたい国があるのならそこに向かって歩き出す。自分はたまたま大学でフランス語を喋れるようになったけれどフランスに行きたいとは思わないし今フランスは危険らしいし自分の学習したフランス語の使い道がわからないでいる。でも簡単な小説が読めたし日常会話ならできるし無意味なことではなかったのかなと思う。フランス語は僕にとっては趣味のようなものだったからそんなに真面目に真剣に学習に取り組んだわけではないけれど。でも学んでよかったと思う。だって他の人は普通フランスなんて喋らないんだもの。僕の住む村ではきっと僕だけがフランス語を話せるしうちにだけフランスから留学生が来る。きっとこれはたまたまだけれど誰かが夢に願った現実でもあるんだ。僕は夢を見ないけれど僕じゃない誰かは夢を観る。僕はカエルになりたい、誰かはグルヌイユになりたかった。そうして人々の間に夢の交換が継承されていく。僕のウーパールーパーは誰が育てているの?ウーパールーパーを育てたことはない。だけれどウーパールーパーをその昔12歳の僕は願った。僕の現実って?これは誰の夢?僕の夢はどこ?この世は夢だね。誰かが願った夢を僕は見せられている。そこに現実感なんてない。ひたすらにぼんやりとした夢の回廊を進んでいく。蛇のとぐろのように。

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