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♯1 想いでは、重いもので。父と母の恋文たち。

義理父と義理母の若い頃の写真。昭和23~24年頃の写真のようです。
美男美女です。
母が高校生の時、一高生(*)の学生だった父が英語の家庭教師としてやってきて、出会った2人。
当然ながら二人は恋に落ちるわけです。
そんなことがわかる想い出の品がたくさん出てきました。

*第一高等学校に改称された1894年(明治27年)以降、一高の修学期間は3年となり、帝国大学の予科と位置付けられた。

ウィキベディア

屋根裏の整理から

我が家には屋根裏(グルニエ)があって、捨てたくないものとか、捨てる作業に取りかかれないようなものを、みんなグルニエにあげています。
屋根裏だから、簡単に取り出せないので、入れたものはそこに残り続けるわけで。
机、沢山の食器、沢山の花器、旅行かばん、飾ってない絵、どうやって捨てればいいかわからない人形達、兜、お雛様、いただきもの、ランドセル、体操着、幼稚園で書いた絵、工作、小学校の作文集・・・・まあぎっしりよ。

グルニエから降ろした荷物 10畳の部屋に入り切らず


あれだけ詰まっていたら、地震の時に一番高いところに重たいものがあるから大きな振り子になってしまうでしょ・・
ということで、二日間かけてグルニエにあるものを降ろして、断捨離をしようとなったわけです。
しかし、色々なものがぎっしり詰まりすぎてて・・
一番重たく詰まっているのが・・・・・想い出。
このカバンがラスボス的な代物です。

想い出のカバン

想い出がぎっしり詰まった玉手箱

これがグルニエにあるのは知っていました。
いつか全部広げようと思いつつ、なかなか手をつけられない作業で、今回決死の思いで全てを広げてみました。

2人は文章を書くのがとても好きで、というかそういう時代であったのかもしれませんが、日記のようにその時の思いを書き留めるといことを日常的に行っていたようです。そして、それをことごとく大切に保管する義母の趣味で今ここに残っているわけ。
このカバンは、私たち家族の歴史を遡る玉手箱。
手紙だけではなく、当時のお芝居のパンフレット、塗り絵、当時の女の子が好きだったようなアイテムやあれやこれや。

義母とは良く話をしていたので、知っていることも多いですが
義父は早くに亡くなったこともあり、昔のことをよく知りません。
また、自分のことを喋る方ではなかったので、晩年の事しかわからない。
とにかく、立派な方であったことは確かです。
その父が若かりし頃の思いを書き留めたノートや手紙も出てきて、面白いやら胸が苦しいやら、とにかく私の胸の中はかなりパンクしそうな感じであります。

義父の日記

一高から、東京大学法学部へ進んだ父です。書いてある文は、とても哲学的です。その時の自分の思いを文字にすることで、学んでいたんだと思います。
人の心とはなんぞや、愛とはなんぞや。
あまりにも哲学的でこれら読み解くには、少々時間がかかりそうです。

麓邦明(ふもとくにあき)という人

義理父 麓邦明 昭和3年3月1日生まれ
私が知っている邦明さんは、東京大学法学部を卒業後、共同通信の政治記者になり、佐藤栄作さんの番記者で可愛がられ、時の幹事長であった田中角栄さんが父の政策能力に目をつけ引き抜き、田中さんの政策秘書となり、「日本列島改造論」などの草案を書き上げました。
世に知れた田中角栄の秘書といえば早坂茂三さん。表に出るのは早坂、裏で政策を作っていたのが麓。共に時代を生きた仲間です。
ロッキード事件の前に、金と女のことを田中さんに意見をしたが、辞めない田中さんに見切りをつけて田中さんの元を去りました。(世の中の本で取り上げられてるのはこの部分です。)その後はかの有名なロッキード事件が世に出ます。家にも検察が調べにきたそうですが、当時の住まいは古いボロ家で、こんな家じゃ事件には絡んでいないだろうと、帰っていったと聞いています。
当時夫(息子)は、父親が無職になって、うちは貧乏になっちゃったんだ〜と泣いていたらしい。(笑

麓邦明と高羽逸子の恋文

私が探していたのはこれ!
沢山あったは知っていましたが、少し目を通すだけで、これを一体どうやって処分?残す?のかずっと頭のどこかにありました。
文学的に美しいんです。もちろん字も美しい。戦後の昭和20年代という時代背景も映り込んでいます。
子供達に読んでもらいたい。自分のルーツですから。

恋文from邦明
恋文from逸子

おじいちゃん、おばあちゃんと過ごした時間は長くありませんが、それでも想いでは沢山あります。
そして、こんなにも美しい2人の恋物語に興味をもたないわけにはいきません。

麓邦明 S23年 20才


高羽逸子 S23年 17才


2人のやりとりは、時には詩になります。

梅一輪
君の頬に照りき
その風 寒く
笹 君を傷め
その日 すぎて
わが胸 いたみ いたみき

S24年 邦明作と思われる

私には、そこら辺の知識がないので詩をどう読み解くかというのが難しい。
どなたか人を探したいと思います。

政治の中枢で生きた義父ですが、今私が手にしているものは、父と母の若かりし頃の青春の一端です。
読み始めて、今なら義父と語り合えることもあっただろうと、そしてもっと沢山の教えと導きを受けることが出きていただろうな、と思う今。

義理の父母とは血が繋がっていない私ですが、縁あってこの家の家系図に入り込み次世代へと繋がっています。
そんな私が、父母の生きた証を
このnoteで足跡を残してみよう、なんて思っています。
亡くなった2人がどう思っているかわかりませんが、何も言ってない感じなので進めてみます。

どこまで続けられるかな。





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