見出し画像

Debut 25th anniversary interview❷“音楽だけ”から“音楽とカレー”へ

Interview&Text by Yurie Kimura

❷〜“音楽だけ”から“音楽とカレー”へ〜

――“スパイス越境”の話を聞いた時は、私も驚きました。音楽だけで食べていくことにこだわっている人だと思っていたので。布石はあったんですか。

 2017年に娘が産まれてからも俺、ひとりだった頃と同じように旅に出てはライブをするという生活を続けていたんですよ。それでずいぶんフジコさんと揉めて(苦笑)、「そうか、ちゃんとお金を稼がなきゃいけないんだな」と。
でも登録制のバイトで紹介されたのが、朝6時くらいに駅に集合して、連れて行かれた先でベルトコンベアに荷物を次々放り投げる、みたいな仕事でね。
名前じゃなくて番号で呼ばれることも衝撃的で、毎日ひどい顔をして帰ってきていたみたいです(苦笑)。
実際、1週間くらいしか続かなかった。こんな世界があったのかと驚いたけど、いかに自分が恵まれてたかもよくわかった。それなりに大変なこともあったけど、結果的に好きなことしかしてないわけだから。

――それはいつ頃ですか。

2019年ですね。その後にミキオさんと一緒にアルバム『僕らの街』を作って発表して、2人で2020年のARABAKI ROCK FESTに出ることが決まり、「これを機にいい動きが出てくるのかも」と期待してたらコロナ禍に突入し、ARABAKIは中止になりライブの見通しはまったく立たず、俺はまったく稼げないという状態になり・・(苦笑)。

コロナ禍でできた時間に、俺もみんなと同じように自分の人生を考えたりしたんですよね。その時に、ずっと音楽一本で暮らすことにこだわってきたし、そのために自分を追い込んでもきたけど、年齢的なことを考えても、ちょっともう違うんだよな〜って思って。
音楽一本では暮らしがうまく回っていかないのに、かっこつけて平気そうに見せることは多分、嘘だな、とも思ったし。

昔、アイルランドには“詩人”を職業にする人がいて、例えば海辺を歩いていて誰かに「詩を書いてくれ」と言われたらその場で書いてお金と交換するんだよ、という話を聞いて、いいなと思った理由がやっとわかったというか。
音楽を作るのは特別なことじゃなくて、暮らしと一緒にある方が自然だし、これからは生きているということ自体で表現したいって思ったんですよね。
だからライブの直前まで客席でカレーをみんなに提供してそのままステージに出ていくことも今の自分にとってはすごく自然なこと。

ステージでちゃんとした音楽届けることに変わりはないわけだし。以前感じていた空虚さは、音楽と暮らしを切り離していたから感じていたのかもしれないな、と思うこともありますね。

(❸につづきます)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?