4.自転車がやってきた

日曜日がやってきた。遠足よりも林間学校よりも1年越しで待ちわびた特別な日曜日。いつもより早起きをして、隅から隅まで覚えてしまった、スーパーカーライト付き自転車のカタログ(半年前、親友の納車に立ち会いその時自転車屋さんからもらった宝物だ)をまた見ていた。父親が起きてきた。朝食を取り、バイクに二人乗りで町田へ出向く。ダイクマのある町はいわゆる町田の中心街ではなくすこし外れにある。多摩の「尾根幹線」なる道を通り、唐木田から山道に入り小さな山を越えて、通称「戦車道路」(一説によると戦時中作られた、戦車の訓練走行用らしい)という舗装されていないクネクネの山道を抜けてたどり着く常盤という町にある。バイクで40分弱。たどり着いたダイクマ町田常盤店。

「これがいいんじゃないか?」チドリ号を大きくしたような氷屋さんのような自転車を指さして親父。本気かどうかが全く読めないので、「それじゃない!」とすこし強気で言う。1年待つと人は強くなれる。「冗談だよ」笑顔の父親。大人って怖い生き物だ。スーパーカーライトは付いてないが、欲しいモデルがあり「これがいい」と決める。24インチと26インチがある。ほんとは26インチが欲しかったが、足が少し届かなくて店員さんの勧めで26インチは断念。(ほんとは大きいのが欲しかった…。何事も思い通りにはいかはない)かくして24インチのスポーツサイクルを手に入れたのであった。

店員さんに、ペダル付けと椅子の高さ合わせをしてもらい晴れて納車。家までサイクリングである。「山の上までは付き合ってやるから肩につかまりなさい」バイクで走る親父の方に右手を掛け、左手でハンドルを握り片手運転。よく原付の少年が自転車の仲間とやっている奴だ。町田街道をその状態で走り、小山交差点から登り道を親父の方につかまり走りを敢行。(時効だが道交法違反ですね。これは!)来た道とは違う舗装路を親父が選び、登り部分は乗り越え、「じゃあ、先に行くぞ」と親父は帰っていった。「ヘルメットは持って帰ってやる」と付け加えた「自分のことは自分でやれ」という一貫した親父らしい去り際の一言となった。「かぶって帰れ」じゃなくてよかった…。

結果そこから1時間半かけてようやく帰宅。こいだ。とにかくこいだ。(高校の同窓に小井田ってやつがいたなぁ。名前に反して、とにかくばかデカい奴だった。関係ないか…)凄く疲れたが、そう、僕はついに念願の新車を手に入れたのであった。地元の自転車屋さん(双葉輪業っていう「普通はあそこで買うよね」っていう小学生自転車小僧の聖地。俺には前述した家の方針で一切関係なかったが…)は購入者にサービスで、前輪の泥よけに住所と名前をヤマブキ色のペンキで細い筆を使い書いてくれる。いわゆるそれが「ザ・双葉で買った証」でもあり、僕としては欲しいとこでもあった。帰宅後、父にそれを話す。「よし、名前、書いてやる」と、父親のなんとも味のある字で住所と名前を書いてもらったのであった。もちろんヤマブキ色のペンキで。(不思議な家でペンキとか工具とかなんでもあった。今でも実家はそのまんま。いつかこれを処理するとなると大変なことになる。)

自転車もさることながら、山越えまで肩につかまらせてくれたことと、この名前の直筆は実はとっても嬉しかった。

そして2週間後、初のパンク(早すぎる)。悪夢のような修理をする羽目となり、現実の厳しさを叩き込まれるのであった。
続く

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