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6.一筋縄にはいかない

仲間との翌日のレース(町には400メートルを超える長い直線の急坂※があり、自転車を押してその丘に登り、上からノーブレーキで一気に駆け降りるというもの。車も通るし危険極まりないのだが、でもなにかと開催されていた。気合いで、ブレーキをかけない奴が勝ちとなる)は、パンクが直せなかったなどどいう屈辱的事象によって不参加となり、苦杯をなめながら、ダッシュで家に帰り自転車修理に再チャレンジ。父親は仕事でいないのでもう頼れる人もいない。工具を並べ、バケツに水を入れて昨夜の失敗を思い出しながら、ゆっくり丁寧に手順を重ねてゆく。

大事なのはパンクを直してタイヤをはめるとき。タイヤレバーを薄くホイールのリムにかけて中のチューブをひっかけないようにしないといけない。軍手なんかしてたらその微妙な加減が分からない。手術室のドクターよろしく(最近この表現、全く見なくなったな…。意訳するなら「まるで〇〇のように」だな。日本語って深いなあ)指先の間隔に全神経集中し、やさしくやさしくタイヤを収めていく。(白い巨塔の唐沢さんの心境)次回のレースには必ず出てやるぞ。空気を入れ、シューシュー音がしないことを確認し夕方17時、ついにパンク修理完了。急いで、丘の上に自転車を押して登ったが、仲間はもういなかった…。

1か月くらいしたある日、親父が自転車用のスピードメーターを買ってきた。「お前、こーゆーの欲しがってただろう」嬉しかった。大げさに聞こえるかもしれないが自転車買った日と同じくらい嬉しかった。箱を開けながら親父が続ける。「どうしてタイヤを速く回してもメーターの針はクルクル回らないか分かるか?」出た。物事を科学しろ、攻撃。親父が自分の作業部屋から手で回すドリルをもってきてメーターのワイヤーケーブルに繋いでクルクル回してみせた。「分かるか?どう思う?」「バネかなんかで…。違うか…」「よし、見せてやろう」親父は買ったばっかのメーターをなんと分解し始めた。「せっかく新しいのに…。わざわざ分解するなんて」なんだかとっても悲しくなった。「壊れたらどうしよう」そればかり気になった。

中にはたくさんの歯車が入っていてドリルを回しながら動く歯車を説明してくれた。この歯車がこれを回して、さらにこいつがこれを回して。説明を終えてメーターを閉じながら親父が言う。「あ、これ、26インチ用だから実際より速度が速く表示されるから。まぁ、気にすることでもないから…」

これ実はショックだった。24/26ということは12/13である。時速12キロは13キロと表示される計算となる。今思えばそもそも誤差なんか大いにあるはずなのだが「最初から違う」っていうのがなんとも許せなかったが、"あの"親父が、勝手に買ってきてくれたのだ。文句は言えまい。御礼を言い、箱にきれいにしまい枕元に置いて寝た。翌日、早速そのメーターを説明書を見ながら自転車に取り付けた。愛車の価値が凄く上がった、気がした。

こうしてアナログメーターの仕組みはこの日、親父に教わった。

次回はこんな風に育った僕が遭遇した生死に関わるこの夏の珍事。このような経験が功を奏した話。とにかく強烈だったぜよ。

※多摩市連光寺にある記念館通り。聖蹟記念館から街に抜ける急な坂道。平成になってから坂の途中に公園が出来て、聖蹟の街を見下ろす夜景がきれいなためドラマかなんか使われて、今もデートスポットになっている。


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