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パストライブスを見て思う。縁ってなんだろう。

カフェで隣に座った20代の女の子2人が
「ねえねえ、今話題になってる恋愛映画、なんだっけ?タイトルが出てこないんだけど」
「えーーわかんない。何?」
あーーー、パストライブスでしょ? うーーー教えてあげたい。
私も明日やっと見に行けるんだよねー。
「あっ、4月になればなんとかだ!」
違った。よかった、余計なこと言わなくて。

ヘソン役のユ・テオがいい。
もちろん映画を撮ってるわけだから演技をしてるんだろうけど、演技してるの?っていうくらい自然な感じがとてもいい。
彼の他の映画やドラマは見たことがなくて、この映画で初めて見たんだけど、他の韓国映画とかドラマを見ていると、俳優さんがその役に入り込んで(それはいいことなんだけど)ちょっと派手目な演技が多いような気がしてて(そんなにたくさん見てないから断言はできないし、それはそれで面白い)でもこの映画のヘソンは、そこら辺にいてもおかしくない男性で、今、本当にカメラ回ってるの?っていうくらい自然な表情と仕草と存在感が、見事だなと思った。

ナヨン役のグレタ・リーも、ロシアンドールでいいなあって思って見てたけど、過剰な演出じゃないニューヨークにいる普通のアジア人っぽくて、途中から映画を見ているんじゃなくて、友達の人生をそばでただ見ている感じに思えてきた。

多分だけど、グレタ・リーが、ニューヨークに行った知り合いの女性画家に、顔も立ち姿も雰囲気も似てるからだと思う。
その女性を知ってるうちのもう1人のデザイナーも、グレタ・リーを見て、すぐその女性に似てると思ったと言っていた。

画家として日本を飛び出して、ニューヨークで働きながら学校に行って、個展をしたりグループ展をしたりして精力的に過ごしてた。向こうに渡って何年か後に、向こうの人と結婚して、ブルックリンからニューヨークに引っ越した。

その子が結婚しますって言ってきた時「えっ、もう?」と思ったことを思い出した。結婚は幸せなことだし、おめでたいことだし、祝福されて当然のことなんだけど、なぜだかその時はまだ早いんじゃないかと思ってしまった。

諦めきれなかった画家になる夢を叶えるために、誰もが知ってる大手の企業を辞めて、挑戦を始めた彼女。
その決断の一端を私が担ってしまったことを、後でその子のお母さんから聞かされた。私のギャラリーの公募展に応募してきて入選して、私と話して、やっぱり絵の世界で生きて行きたいとお母さんに言ったそうだ。

親としてはどうしようと思ったけれど、言い出したら聞かないし、責任感の強い子だから、好きなようにさせて後押ししようと思うと言っていた。
そして笑いながら「きっかけを作ったんだから、これからもよろしくね」と。

彼女のところにも遊びに行ったな。都会の学校に行った子供に送るみたいな荷物を送ったりもしてた。といっても何が役に立つのかよくわからないし、本当のお母さんの方がそういうのに詳しいだろうから、私の荷物は変なものばっかりだったかもしれない。

そんなこんなを見てたから、勝手に結婚はまだ先のことだと思ってた。
両立するのって大変そうだなとも思った。でも私は結婚したことがないから結婚の大変さなんてわかんないし、想像でしかないけれど、自分の好きなようにだけ行動することもできないだろうし、作品を制作するのは孤独な作業だから、それとそれを切り替えるのが大変そうだなあと感じたから。
でも彼女ならどっちも立派にやってのけるんだろうなあとも思った。

ナヨンはどうしたかったんだろう。
実はヘソンの気持ちや行動はよくわかるのに、ナヨンの本当の気持ちや行動がちゃんとはわからなかった。ヘソンのことも、旦那さんのことも大切なの?もっとやりたい事とか夢とかあったんじゃないの?それともあのイーストビレッジのアパートメントで暮らして、脚本を書いてるからそれはそれでいいっていう事なのかな。

12年前に自分のしたい事があるから、何かを掴みたいから連絡をするのをやめようと言って泣きながらヘソンとの連絡を絶った時はどんな気持ちだったんだろう。
ヘソンも強く言えなかったし、すぐにニューヨークに来なかった。
ナヨンもソウルに行かなかった。
でもどっちも自分の置かれた状況がわかってて、あの時はそれを優先したんだよね。

だったら、私はアーサーがいくらいい人で魅力的な人でも結婚はできない。
ヘソンと次に会えるまで自分のやりたいことをやり続けたい。
その時ヘソンが他の人といたなら、それはそれで構わない。
グリーンカードがなんとか言ってたから、そういう大人の理由もあるのかなあ。

グレタ・リーに似てる女性作家の彼女も、同じ職場の女性にやっかまれてグリーンカード欲しさに結婚したんだとか、陰口言われてたらしいから。
アメリカでアメリカ人以外が生きていくという事、そういう問題は当事者にしかわからないんだろうな。

最後のシーンで号泣するナヨン。あれは何に対しての涙だったんだろう。
ちょっとずつ諦めてしまった自分の過ぎ去った人生?

階段の踊り場に降りてきてたアーサー。
泣き虫だった頃のナヨンの近くにいつもいてくれたヘソン。

今は、アーサーが抱きしめてくれるからそうやって生きていくんだよね。
ナヨンは幸せなんだよね。
それでいいんだよね。 

映画の中に差し込まれた、2個の違った水溜まりの映像が綺麗だった。


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