「Sweet Dreams」に、いきなりまんまとやられた「憐れみの3章」
「憐れみの3章」色々な愛の形の、色々なお話。
人間の中に出来上がっている常識とされるタブー(殺人とか、泥棒とか、とにかく殆どの人が「それはダメでしょっ」て思うもの)は、たまに時と場合によって(ムカつくけど戦争とか、人それぞれの正義とか)変わっちゃったりはするけれど、声にだしてダメ出ししやすいし、ダメって言える共通の安心感みたいなのがある。
でも、例えばその判断基準にきちんとした線引きがなくて、どこまでがオッケーで、どこからはダメっていうのが個々の判断に任されているもの(性的嗜好とか、禁断の食べ物とか)になると、法律を犯さない限りは秘密理に何が行われてても他人にはわからない訳で、普段は目の当たりにすることもないし、自分の中にある基準と比べる機会が少ない。
それを堂々と見せつけられると、ハッキリダメ出し出来る「殺人」よりも動揺を覚えてしまう感じを、上手く映像化してるなと思った。
いきなりのユーリズミックス の「Sweet Dreams」
久しぶりに聴いたせいか、初っ端からガッツリ持ってかれた。名曲だよな。
曲の第1音目からバシッと決まってる。
シンセポップの代表曲だと思う。電子音のイントロにアニー・レノックスの男?女?って感じのボーカルが絡んでくると、痺れる世界が広がってクセになる。
この映画のイントロに完璧な選曲だ。
歌詞もこれだ。
甘い夢はこれでできている(ここから始まるでもいいかも)。
私が誰だろうと意義を唱える権利はない。
世界中を旅して7つの海を渡る。
誰もが何かを探している。
あなた(他者)を利用しようとする人がいる。あなたに利用されたい人がいる。
あなたを苦しめたい人がいる。
あなたに苦しめられたい人がいる。
簡単に書いてみたけれど、多分こんな感じかな。
まんま、この映画のイントロにふさわしい。
隣にいる人のことだって、その人が発した言葉や行動からしか推測出来ない。
それも表れた言葉や行動が、本心からなのか、他者の目を気にしての事なのか、ハッキリとはどっから出てきたものなのか確実にはわからない。
自分の全てすらわからないし、そこに環境や時間の流れなんかが関係してくると、一貫性なんて簡単に失われてしまう。
さっきまで知ってた自分と明日の自分が全く同じなんて事もないように、他人の事だったらなおの事、少しだけ捉えたかなと思っても、次の瞬間「そんなところも持ち合わせてるのね」ってなったりする。いい意味でも悪い意味でも。
そんな普通のレベルの行動でさえそうなんだから、そこに個人個人が抱える秘密の激しい自分なりの愛なんかが加わって来ちゃったりしたら、なにがなんやらわからなくなって、呆然と口を開けて眺めているしかない気がする。
自分を見失わないでいたいと思う事も大切。でも、どうせ1個しかもらってない「自分」なんだから、私ってこんなところもあるんだっていう探求をしながら、あーだーこーだ見つけ出して蓄積していくのも面白いと思う。
自分の中にある「どうしても譲れないもの」っていうのも大切にしながら、日々自分に訪れる変化を、柔軟に楽しんで受け入れることができたらいい。
そうそう、エマ・ストーンの3話目の服がいい。まさにそういうタイプの人が着てる感じ。鮮やかなブルーの子供っぽく斜めがけにしたバッグもいいし、ジャケットタイプのセットアップに合わせた、不安定そうなうっすーい底のサンダルもそれっぽい。
あー、1話目のウィレム・デフォーの、ソファーから立ち上がったら、半ズボンでハイソックスっだったってのも「なんか、うまいな」と思えて笑った。
痩せたジェシー・プレモンスに、むっちゃ、ちょびりマット・デイモンが見えた気がして、何回か目を瞬いた。
色彩とカメラワークが好き。
ということで、明日は待望の日曜日ー!イエーーーイ♪
ドライブに出かける時は、私道から公道に出る時は一時停止して、よそ見運転もしないで、安全に行楽の秋を楽しんでください!
Have a Sweet Dreams! xoxo
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