お金を貰えてもやりたくないこと。お金を払ってでもやりたいこと。

 お金は現代の資本主義社会を生きてくためには、必要不可欠なツールです。そして、そのお金を得るために我々は毎日働いています。資本主義社会である以上、何かの形でお金をもらえることは本来喜ぶべきことで、お金が増えれば出来ることも増えていきます。一方、お金が減ってしまえば出来ることは少なくなってしまいます。
 しかし、不思議なことに、世の中にはお金を貰えてもやりたくないこともあれば、逆にお金を払ってでもやりたいこともあります。お金という資本主義社会の軸から外れた行動を、なぜ我々は取ってしまうのでしょうか。

私がお金を貰えてもやりたくないこと。

 私がお金を貰えてもやりたくないことは2つあります。
 一つ目は、人に何かを頼むことです。人間、生きていれば誰しも他人に支えられながら生きており、頼り頼られるのは宿命というか当然のことではありますが、どうやら私は誰かを頼ることが苦手なようです。サッカーには、人を頼るのが得意な人が多く、人の繋がりを成果に繋げる人も珍しくありませんが、私自身がそうして成果を上げたときにどうしても申し訳なさを感じてしまいます。もう一つは、自分の信念に反することです。特に長く関わっているサッカーにおいては私なりのこだわりがあり、そこに合わないと例え好きなサッカーであっても一瞬でやる気が消え失せてしまいます。
 私の場合はこの2つですが、誰しもどうしてもやりたくないこと、あるいは出来れば避けたいことは多少なりとも持っていることでしょう。

私がお金を払ってでもやりたいこと。

 お金を払ってでもやりたいことはいくつかありますが、特にやりたいことはヲタ活と旅です。どちらもお金がかかる趣味ですし、旅であれば一般的で大衆の共感も得やすい趣味ですが、ヲタ活は認知度が高まったとは言え、共感を得られやすいモノではありません。例えば、お話し会であれば10秒満たない会話のためにCD代と交通費を払い、さらに時間を費やして現に知に行くわけですし、昨年の愛生ちゃんのバーイベであれば、1時間のイベントのための往復6時間と新幹線代をかけて喜んで東京まで足を運びました。配信やDVD発売があるにも関わらず・・・
 このように、コスパ・タイパを考えれば最悪なことでも、心を満たしてくれるならお金を払うことはいとわないのもまた、人間の思考だと思います。

幸せに暮らすためのお金との向き合い方

 お金を集めることそのものが好きな人と、本当に好きなことを仕事にしている人を除いて、多くの人はお金を得るために多少なりとも嫌なことや苦手なことをやっていると思います。そして、そこで得たお金から必要な生活費を除いた額を自分のやりたいことに充当している訳ですが、当然時間配分は、お金を得るためのことに費やす時間が多くなり、やりたいことに当てられる時間は相対的に少なくなってしまいます。さらに、仕事での消耗が大きければ、心身の疲労を取り除くのにさらに時間とお金が必要になります。
 以上の点から私は、いかに心身を消耗せずにお金を得ていくかが大切であると考えています。心身を消耗しない仕事は個人個人で大きく異なりますが、得意なことや人よりスムーズに出来ること、他人は避けたがるけど自分はそこまで嫌ではないことなどが、当てはまるのではないかと思います。
 このような視点で仕事を選び、お金を使いたいことに当てられるお金・時間・体力を残すことで、人生をより豊かなモノに出来るのではないかと考えています。

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