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何度でもおめでとう

娘が生まれたのは平成10年6月14日。
どしゃぶりの雨音を聞きながらの出産だった。
上の息子の時と同様、生まれてすぐ都内の病院に搬送されてしまい、自分の母としての不甲斐なさに泣いた日でもあった。


娘を授かったその後の私の人生はまさにジェットコースター。
いや、いささか手ぬるい表現かもしれない。
それはまるで出来たばかりの点検もされていないロケットにくくりつけられて、なんの準備も心構えも出来ていないのに、ほら行け!とばかりに宇宙へ放り出されたも同然だった。
それからは娘と泣き、喜び、どん底もずいぶんと長い間歩いたものだった。
歩いたというより赤ん坊のように這っていたのかもしれない。
ただ、暗い底も這いつくばり、こんなものかと慣れて開き直ってしまえばなんてことはない。


思えば遠くへきたもんだ。
そんな歌があったが、娘を産み育てていた頃の泣いてばかりの私は今はもういない。
振り返ってももう見えない。
そう、思えばあれからずいぶん経ったのだ。
転んだり滑ったり落ちたり。
痛い苦しい悔しい。
眠れない夜もいくつも越えて。



娘が一年一年大きくなるたびに、私も母として人としてとして大きくなってきた。
初めて『ママ』と呼んでくれた日。
風が吹いて『さむい〜』と言った日。
私がエキサイトすると、『ママ、おーつぃーて(落ち着いて)』(彼女から言われるとは!!)
娘が何か言葉を発するたびに思いもかけない衝撃と感動を与えられたことは親冥利に尽きるのかもしれない。



娘は4年前に無事に成人となり、明日で満24歳の誕生日を迎える。
彼女がもし健常として成長していたら、マスクの下の口紅がつくのつかないだの言ってるかもしれない。
仕事辞めたーいとぼやいているかもしれない。
彼とのお泊まりにわくわくしているかもしれない。
ぜんぜんモテなくていじけてるかもしれない。
同じ年頃の娘さんを見て、そんなことを思わないわけでもない。


まだ3歳半くらいの子供の精神と24歳の身体を持つ娘。
これは『障がい』ではなくもはや『個性』と呼んでいいのではないかな。
最近そんなことを思ったりする。
別に悲しくないよね。
さあ、明日は娘のためにいつものイチゴのケーキを買わなきゃ。
何度でも言おう。
誕生日おめでとう!


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