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グリーン・グリーン

グリーンが好きだ。
植物はいい。
たくさんの樹々に囲まれていることが多い神社が好きなのも、きっとそれが一因だ。


実家にはほどよい庭があり、大きな庭石のそばには一本の松が植えられていた。
いくつかの灯籠のまわりにはツゲやら紅葉、石楠花。家の陰になる奥まったところには何本もの紫陽花。
牡丹、沈丁花などは家から眺められるところに植えられ、端っこの小さな花壇にはチューリップ、スミレ、サクラソウなどが自由に咲いていた。
どれもこれも庭いじりが好きだった母が思いつくまま好き勝手に植えたものだ。



見頃ともなると我が家の庭は花と緑の宴となり、モンシロチョウはひらひらと飛び交い、どこからともなくてんとう虫もやってきた。
その季節になると甘い香りがふんわりと道傍にまで漂ってきて、鼻腔の中におもいきり吸い込むとくすぐったく、気持ち良くなったのを覚えている。
雨上がりのむっとする土の匂いと花と緑の匂いがまぜこぜになった日。
見事に咲いた花を母はその茎を手早くちょんちょんと切り、くるくるっと新聞紙に包むと、これ、教室に飾りなさいと持たせてくれた。
花束を持って学校へ行く。
その日はわたしにとって特別な日だった。
しあわせな子供時代だったと感じられる記憶の断片。


今わたしの住むところには大きな庭はない。
代わりに大きなグリーンを思いきって買った。
そして部屋の中で育てている。
エバーフレッシュという木だ。
はるばる沖縄からやってきてくれた。
夜になると葉を閉じて眠りにつく。
昼間たくさんのエネルギーと酸素と癒しを与えてくれたそれは疲れたように葉を閉じる。
さながら人が目を閉じるように、左右の葉を抱くように眠る。
水が大好きなこの子の根元には水分量がわかるチェッカーを差し込んであるが、それだけに頼らないようにといわれた。
葉だけではなく、幹にも水をあげるように。
全身にきれいな水を求めるのは植物も人も同じ。


葉っぱが黄色くなって落ちそうになっても、まだ茎にかろうじてついているのだからと、水をあげようと動かそうとする時は細心の注意を払って動かす。
どんなに気をつけてもわずかな振動で体力のない弱い葉は無情にもパラパラと床に落ちてしまう。
わたしの管理不足。
悲しい気持ちで掃除機をかける。
木の幹を思いきって揺すってみると、次々に弱くなっていた葉が床の上に散らばる。
そしてまた揺すると落ちる葉がわずかになっている。
もう一度揺するともう落ちなくなって、残ったのは強い葉だけだ。
弱い部分は落としていいのだ。


わたしもこうありたいな。
強くありたい。そう思うのは弱くなってるから。
実家の庭はもうとうに建て替えられて小さくなってしまったが、あの時の想いは無くなることはない。
たくさんの花も樹々もここには無いけれど、ちゃんと残っていて、次に芽吹く葉を抱く部屋のグリーンはあの日の庭に続いている。








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