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いまから24年強前の『噂の眞相』のアイドル&グラドル考察座談会記事。ひさしぶりに読んでみての感慨をひとつ

部屋を整理していたら、『噂の眞相』2000年1月号(1999年12月10日発売)のアイドル&グラドル関連記事のコピーが出てきた。

当時仕事をしていたバウハウス、もしくはコアマガジンあたりの雑誌に書くための資料のコピーか。

二十数年ぶりに読んでみたら、こんな箇所が目に止まった。

B  でもグラビアアイドルならテレビで売れなくても、一度、写真撮っちゃえば、グラビア、写真集、トレカ(トレーディングカード)の3点セットで十分儲かる。写真だけでなくイメージビデオも売れる。あとは小まめにサイン会や握手会などのイベントをしていれば副収入もデカい。世間の知名度は低くても、意外に儲かるっていうよね。

当時はそんな時代だったか。うーん、だったか???(笑)。

ちなみに当時のビジュアルクイーン・オブ・ザ・イヤーと日テレジェニックの顔ぶれを見てみると……。

各年、それぞれ、1、2名“売れてるか”って感じじゃないかしら。

無冠の大器の面々では、言わずもがな、優香や釈由美子らがブレイクしており、グラドル・シーンをしっかりリードしていたが、1999年から2000年ぐらいにかけては、まだまだそこまでトータルで業界が儲かってるイメージはなかった気がする。

1999年3月創刊『D-SHOCK』(白夜書房)
『宝島GOLDEN』(宝島社)1999年6月号
『sabra』(小学館)創刊は2000
年5月。グラドル色はまだ薄い


グラドル界が“儲かってる”と感じるようになるのは、グラドルがバラエティやCMに進出するようになった2001年以降。

確かにくだんのB氏(芸能記者)の言うことには一理あり、2000年代に入り、看板グラドルを1人2人だけ擁した新興ミニ事務所が続々生まれ、テレビ仕事ナシにそこそこ儲けるシステムは確立される。サイン会から撮影会への手法転換で、グラドル界は多面的な様相を呈していったのは間違いない。

誌面には、こんな記述も。

A   ひところの正統派アイドルは、グラビアで水着を披露すると“色物”扱いされると嫌がったもんだけど、最近は、フジのビジュアルクイーンや日テレフォトジェニックといったグラビアアイドルとしてデビューする方が、タレントで成功する確率が高いでしょ。

A氏はグラビア誌編集者らしいが、“日テレフォトジェニック”の言いようはペケ(ありえないミス)。

『噂の眞相』のこの記事をあらためて読んでみて、優香や深田恭子や田中麗奈らに関する内容は納得だが、グラドルに関する内容はイマイチと言わざるえない。どこか嘲笑のテイで話が進められている感がアリアリ。おそらく数年で流れは終わるだろうと見ていたんじゃないか?

そういう皮肉のスタンスこそが同誌の持ち味と言えば持ち味なのだが(基本、もろ自分好みではある)。この記事の4年後、グラドル人気最高潮の時期に休刊を余儀なくされたのは(休刊理由は訴訟の多さゆえとも)、なかなか味わい深い史実と言える。

なお、筆者が某誌で『グラドル番付』なる企画をスタートさせたのは、2000年の夏のことだった。






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