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日航123便墜落事故(事件)③〜機の事故前、終盤の飛行経路について。「埼玉県上空は(ほとんど)飛んでいない」説は、はたして、本当なのか?

発生から37年目を迎えても、依然、謎と疑惑に満ちた日航機123便墜落事故(事件)。ボイスレコーダーのさらなる開示(現状公開のものは完全なものではないことは知る人ぞ知る話)や当時の核心的な事情を知る者の告白など、新たな動きがない中では八方塞がりの感も否めないわけだが、今回、本稿で今一度考えてみたいのはその飛行航路、中でも墜落に至るまでの7、8分ぐらいの動きだ。

現状、この事象を事故調査委員会の発表のままに事故として認識する者も、疑惑ありきで事件として認識する者も、共通しているのは「機は埼玉県上空は飛ばなかった」という見方。墜落の7分前の18時47分頃、奥多摩上空で目撃された以降は、北西(ないし北北西)へ向かい、長野県川上村(墜落直前の決定的な目撃情報あり)を経て、通称「御巣鷹山の尾根」に墜落したということになっている。

ただ、個人的に気になるのは、ネットで散見される目撃情報であり、それを見ると、埼玉県でのそれがいくつもあること。

地理的に考えて、東京都と長野県の間には埼玉県の秩父市などがあり、埼玉県上空を経たのは間違いないが、埼玉県西部の目撃ではなしに、もっと県中央寄りの飯能市(名栗村と合併)や坂戸市、鳩山町あたりでのそれが寄せられているのだ。

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1つや2つの目撃情報なら見間違いの可能性もありそうだが、複数に及んで出てくると、「これは案外ありえるんじゃないか?」という思いにかられてくる。

しかも前述の3つの市町は、ほぼ一直線上に位置しており、経路としては合理性が感じられる。さらに、その経路は、横田基地からほぼ真北の方向となり、「機は横田基地着陸を試みようとした」説を取る自分からすると、妙に納得できる流れとして受けとめられる。

むろん、それに反論する意見としては「横田基地着陸説を前提とした陰謀を含む目撃情報に過ぎない」というのが上がるはず。写真や当時の管制記録などの決定的な証拠がない以上、こちらもそれに自信を持って反論することはできない。

ただし、一点、これだけは言えることがある。事故調査委員会の報告書によると、機は墜落およそ2分前、埼玉県熊谷市から40キロ西の上空を飛んでいる。

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この位置を厳密に調べると、「群馬県多野郡神流(かんな)町の東、愛宕山の北側の中腹」(*2022年8月追記。自衛隊の熊谷基地が基点になるので、数キロ北西にずれる由)あたりなのだが(123便関連の記事や動画で、この地名を取り上げた媒体あるかしら。自分は見た記憶がない)、ここで重要なのは、機はどこを経てこの地まで飛んできたか? という点。

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2分後に墜落、その直前に長野県川上村に到達していることを考えると、神流町上空を機は西方向に飛んでいたのは間違いない。そうすると、神流町到達以前は、その東側、もしくは南東側、もしくは南側を飛んでいたわけで、位置的にそこは埼玉県ということになる(神流町は群馬県と埼玉県の県境の町。さすがに神流町の北側の群馬県上空から飛んできたというのはありえないだろう。いや、埼玉県北部の町上空から群馬県に入った経路ならありえるか)。

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ただ、それでも「機は埼玉県秩父市は経たかもしれないが、それ以東の埼玉県は飛んでない」と言われれば、まったく反証はできない。皆野町や寄居町、東秩父村あたりでの目撃情報があれば話はまた違ってくるのだが……(鳩山町や坂戸市の目撃情報の信憑性が増す)。

はたして、機は埼玉県中央部の空を飛んだのか。もうしばらく、しつこく検証していきたい次第。





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