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『週刊文春』報道により一気にクローズアップされた2006年4月の不審死事件(いわゆる木原事件の原点)。その特異性を今一度整理してみる

たとえば、哲学系YouTuberのじゅんちゃんの見方などとは大きく異なる本事件における自分の認識だが、そもそもの不審死が自殺と断定された経緯を論証しなければならないという彼の主張には同意する。

そんな中で、8月3日に配信された『一月万冊』。内容の中心は、その不審死事件における元朝日新聞記者・佐藤章氏の見立て。

その推論の一部は、同じくジャーナリストの田中龍作氏の以下の取材記事(8月1日付)が基になっている。

これらを見て、あらためて自分が思う重要事項は、
①被害者・安田さんのパーソナル
②Z氏のパーソナル

だ。どちらもおぼろげには浮かび上がってくるが、断定して記すには注意が必要。上の『一月万冊』のサムネには「公安警察」というワードが記されており、動画および田中氏の記事を読めばその意味がわかるが、いま、それを真実のようにここに書く気はない。

ただ、それを踏まえると、大方辻褄が合うように思われるのも事実。①については、『文春』に書かれたDVの真偽が気になるところだが、会見で父親が触れていたヤンチャな気質を踏まえて考えると、なんらかの行為や言動があったとしても不思議ではない感がある。むろん、『文春』としてもナーバスな内容ゆえ、ちゃんと取材したうえで書いているだろう。安田氏親子は明らかに『文春』サイドについており、そのあたりの言質はとっているのだろう。

これは自分の薄い臆測だが、例の、夜中の3時という遅い時間に息子夫婦の家に行った父親の行動ーーの発露は、車の返却以上にその数日内に交わされた息子との会話になにか不穏なものを感じ、妙な胸騒ぎを覚えたからでは? 

一方であの日、Z氏は、大塚署と事件があった家(あえて、こう書く) の両方訪れているという。それぞれ何時に訪れたのか、それがわかると話は大きく前進する。

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