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日航機123便墜落事故(事件)⑮〜「機は埼玉県中央部の上空を飛んだのか?」問題。東京から埼玉への最初のプロセスとなりうる経路ーー横田基地を経て入間基地上空を飛んだのか? を今一度考えてみる

「123便は埼玉県の中央部上空は飛んでいない」という定説がまかり通るなか、自分はどうしてもその説に相容れない。理由は明快。ネットのコメント欄を隈なく見ると(重要)、そういった目撃情報がいくつもあるからだ。

NHKの検証番組(2015年)では、当時の警察のメモより「18時50分頃、(埼玉県群馬寄りの本庄市、もしくは寄居町の)秋山上空から群馬方面へ」といった記述も明かされたが、それに至るまでの経路を考えると(飯能市や坂戸市あたりの目撃情報も踏まえて)、埼玉県中央部飛行は十分にありうると言っていい。

当時の長野県警のメモより
「 秋山の上空で群馬方面へ」の記述

信憑性はともかく、ヤフー知恵袋では過去にこんな書きこみもある。

自分が入間基地上空飛行説を捨てきれないのは、横田基地からの距離の近さに加え、コクピット内の立場になって考えたとき、我が機の現状を航空のプロの目によって見ておいてもらいたいからに尽きる。入間基地上空、もしくはその近辺を飛べば、誰かしら航空のプロの人間によって目撃されるだろうと。当然のように、一般素人の目撃談とプロのそれでは、状況分析として発言の重みが違ってくる。

こう書くと、「コントロール不能な機で、そんな余裕はないだろう」と言われるかもしれないが、乗客のメモにより墜落10分前までは安定した飛行をおこなっていたのは間違いなく、その後どのくらいの時間かはともかく、ギリギリまでなんとか操縦を保っていたことを踏まえると、やはり説は捨てきれない。

加えて、「目撃情報が少なすぎる、いや、なさすぎる」という声もあるわけだが、これに関して自分が思うのは、未解決事件でありがちな「当時情報を提供したのに、結果的に生かされていなかった」というパターン。おそらく、埼玉県飛行の情報は善意ある市民によってフツーに何件何十件と、警察やマスコミにもたらされたはずだが、当時の事実解明への優先順位の中で後回しにされたのではないか。

情報提供者としてはしっかり責任を果たすも、実際それが調査委員会の中でどう生かされたかなど、確認するすべなどなかった。周知のように、埼玉県飛行に限らず、墜落場所の情報など有耶無耶にされまくったのが本事故(事件)であり、なにが真実かは現状はわからない(どちらの説もありうる)という結論でいいように思われる。

「仮に入間基地上空を飛んだなら、同基自衛隊員1人ぐらいは証言していいんでは?」という疑問に関しては、「一貫してそもそも自衛隊オフィシャルの証言がなさすぎる」ということで。

ちなみに自分には1人、元航空自衛隊の知り合い(ただし、40歳ぐらい)がいるのだが、聞けば、「あの事故の話はけっこう頻繁に仲間内で話し、先輩からはいろんな噂を聞いた。ただ、それが外部に漏れることはなかったはず」とのこと。こちらは当然、話の詳しい中身について尋ねるも、「詳しいことは忘れてしまった」とはぐらかされて(?)しまった。

まあ、それが現状であり、今日まであらゆる自衛隊関係者からほぼほぼ話が漏れることなく来てしまったということなのだろう(話したい人間はそれなりにいるはず、と信じたいが)。

繰り返しになるが、横田基地から入間基地へは北北東にわずか15キロほど。1分台で到達する。


*余談ながら、123便問題屈指のスペシャリストにして、人気YouTuberのワタナベケンタロウ氏から当note宛にコメントを頂戴しました。感謝、恐縮!😅


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