【1/3】“事故”紹介

はじめに

この記事で僕は“人生自分語り”を勧めました。負い目のない人間なんてこの世にいないんだから、自分の負の部分も正の部分もさらけ出してしまえばいいと。

しかし、あなたにそれを勧めておいて、自分がそれをしないのは違いますよね。

ここで一発、自分の人生自分語りを打ち込みたいと思います。

需要ない方はこちらでさらば。
興味ある方、“大久保沼”に引きずり込むので、ぜひ最後までご覧ください。

高校1年

○ポール間走

「自分の武器は体力と継続力だと思っているのですが、今振り返れば、この原型ができたのは高校1年生の夏です。」

(質問者)ーー何があったのでしょうか?

「試合後のポール間走です。」

ポール間走とは、野球のライトのホームランポールからレフトのポールまでバックスクリーン裏を経由して全力疾走する野球部を殺すと悪名高いメニュー。PP走と呼ばれていたり、いなかったり。

「練習試合でコテンパンにされて、顧問の先生がPP走を30本やれという鬼畜メニューを提示してきました。夏の暑い時期に練習試合後にです。もうふざけんなよと(笑)」

「で、周りが手を抜いている中、自分は馬鹿みたいに全力でやったんです。ヘタクソの自分がこのメニューサボったら本当に終わると思っていたので…」

(質問者)ーーそしてやり抜いたと?

「そうです。そしたら解散後に顧問に呼ばれて『ちゃんとやってたの、お前だけだったな』と。嬉しかったですねえ」

(質問者…以下略)ーーこれは嬉しいですね。見ていてくれた。

○努力の目的化

「そこから、顧問がいようといなかろうと練習では手を抜かないようにしました。」

ーー素晴らしいじゃないですか。

「それがそうでもなくて(笑)その後野球の技術を伸ばせなくて、同期にドンドン抜かれていったんです。自分に残ってたのは『練習で手を抜かない』ということだけ。武器にしてたのは能力ではないんですよね(笑)しばらくすると、自分が取り組むものは、結果を出すための練習ではなく、顧問に嫌われないように全力を尽くす練習へと切り替わりました。」

ーー努力が目的になってしまうという1番虚しいパターンですね。

「そうなんですよね。チームで1番声を出す、顧問の指示した目的の分からないメニューにも全力で取り組む、なのに結果が出ない…。まあ目的が顧問に見てもらうことなので、僕の目的は達成してたんですけどね(笑)」

ーーこの辺りが家庭教師でお子様の目的のない努力にすぐに気付く原点になっているのかもしれません。

「それならあの時の経験も役に立ったのかな(笑)」


高校2年

○後輩に取られるベンチ

「そんな努力にも限界が訪れます。高校2年生の夏に1年生の新人にベンチ入りメンバーの背番号を取られてしまったんです。しかも、自分はその後輩と同じ中学出身。いやあキツかったなあ」

ーーこれは精神的にキツイですね。

「あの時は意味が分からないくらい泣きましたね。そしたら、自分の面倒を見てくれていた1個上の恩人の先輩のKさんとこんなやり取りをしました。」

Kさん
「お前の武器はなんだ?」

大久保
「(高校2年にもなってこれかよ…と思いながら)声とやる気です」

Kさん
「スタンドでも出せるだろ?」

大久保
「(号泣しながら)はい」

ーー良い先輩じゃないですか。

「彼は浪人して早稲田に行きました。僕も同じ道をたどりました。彼の背中を追ってた10代でしたね。」

「結果的に、僕はボールボーイをやっていました。ファールボールを取りに行く裏方です。声とやる気、必要ないっていう(笑)」

ーーやめてください(笑)試合はどのような気持ちで見ていたのですか?

早く負けろと思ってました。」

ーーまあ、気持ちは分かりますよ。

「自分の代わりにベンチに入った同期と1年生の後輩に嫉妬していました。嫌いになっていたのは、チームというより自分でした。この期に及んでお世話になった1つ上の方の勝利を祈れないのはどうなのかと。」

ーー気持ちはとてもわかります。

「あとは文化祭ですね。僕の高校は夏の大会と野球が文化祭が被っていました。そのため、学校は野球部応援ムードと文化祭ムードで非日常の空気を放っていました。」


○文化祭ムードで車と衝突

「背番号が自分にないと明らかになった2日後、僕は文化祭の出し物の朝の打ち合わせのために早く家を出ました。その道すがら、車に轢かれてしまったんです。ゴン!!ってぶつかってしまって。」

「僕は背番号の一件で正直燃え尽きていたところがあり、ぼーっとしながら運転していました。なので、むしろ運転手の方に申し訳なかったですね。幸い怪我もなく、顧問に無事の一報を入れたのですが、その時の自分を見る顔は忘れられないですね。憐れみというか、大丈夫かなコイツ、みたいな。」

ーードン底だったのだろうと思います。


○今度は俺が“背番号9”を

「自分はポジションはライトだったのですが、基本的に高校野球のライトのレギュラーの背番号は9。今度こそこれを取ろうと。」

ーーお!スイッチ入りましたね。

「ただ、それで急にできるようになるかと言われればそうでもなく、基本的には一生懸命やるだけで的外れな努力をしている…という根本的なところは変わりませんでした(笑)」

「ただ、自主練の時間は部内で1番長かったと思います。ただし、振り返ればそれは『自主練してる自分』に酔っているだけでしたね。野球部員は瞬発力のある筋肉を付けるのが求められますが、僕がやってたのは毎日のランニングです。偶然同じクラスの好きな子とすれ違ったら“頑張っている自分”を見せていました。」

ーーただ、どんな形であれ努力は努力です。キツくともそれをやり切れた理由は何でしょうか?

「結局は承認欲求なんですよ。野球部ってみんな同じエナメル背負ってるじゃないですか。これを背負って同期のウチの高校の中心人物と並んで歩いている時が野球部で良かったと思った瞬間です。そりゃいくら練習しても結果出ないですよ(笑)」

ーーこの頃の『的外れな努力』以外に反省点はありますか?

人の言うことを聞かなかったことですね。また、“頑張っている自分”に閉じこもっていたこともあり同期に“指摘してもらえない”状況が生まれていました。積極的に人のアドバイスを求めに行っていれば良かったなあと思います。しかし、結果を求めるのではなく努力家キャラを作るのを求めた当時の自分は、恐らくこれを知っていてもできなかったと思います。」

高校3年

○主将のアドバイス

ーー何か転機になる出来事はありましたか?

「高校3年の頃の春のことです。いつも通り自主練習をしていると、当時主将を務めてた僕の同期が偶然一緒でして、自分のフォームの欠陥を指摘してくれたんです。考えてみれば、僕は正しい努力とは何なのかも分からずに、ああだこうだと色々試しては身に付かないということを繰り返していました。」

「このアドバイスから、急激に成績が伸びました。また、その時に言われたことがとても印象に残っています。」

大久保は真剣すぎてなー、
言いたいことあっても言えないんよなー

ーーこれは示唆に富んだ一言ですね。真剣にやってる。だから周囲が声を掛けにくい。客観的なアドバイスがもらえない。やってもやっても伸びない。

「そうなんですよ。当時は『ハハハ』と流していましたが、今振り返ると核心突いたこと言われていて。」

「この後、急激に打球が伸びるようになって、2軍戦では1番や3番を打たせてもらえるようになりました。公式戦ではなく練習試合ですが、3年春だけでランニングホームランを2本打ったりもしました。」

ーーすごいじゃないですか。メンタル的なところは変わっていたのですか?

「いや、相変わらず周囲の目は常に気にしてましたね。“野球部のエナメルバッグ”が自分のアイデンティティでした。実は、これが原因で大きな屈辱を味わいました。」

ーー詳しくお願いします。


○同期を出し抜いてタクシーに乗れない

「ある日の電車遠征の練習試合の朝のことです。自分たちは家の近い4人でみんなで相手の高校に行ったのですが、途中で電車を乗り間違えました(笑)ここで遅刻の可能性が濃厚となり、最寄り駅に到着して、歩いたら遅刻という状況です」

ーータクシー乗るとかは…?

「情けないことに、その選択肢を取れなかったんです。」

「当時ちょうどお小遣い日だったので僕の財布には5千円が入っていました。タクシー乗れば間に合ったはず。しかし、僕の同期は遅刻の一報を入れ終わった後だったので『余計なことすんな』とタクシーに乗ろうとする僕を止めました。結果的に遅刻になった僕ら4人はその日、試合には出れませんでした」

ーーうわ、よりにもよってこんなところで。

「当時、2軍の試合で結果を出してようやく1軍の試合に呼ばれるか、少なくとも代打では出れるかというところまで来ましたが、ここで後退。あの時にタクシーで同期の静止を振り払って同期を出し抜き『大久保は間に合いました』という形にしなかったのは今でも後悔しています」

ーーどうしてできなかったのでしょうか?

周囲の目を気にしたからです。当時、自分の代の“リーダー格”の奴に嫌われていまして。その周囲のヤツも僕を避けるようになっていて、さらに他の部活にその話がいってしまったのと、後輩にもその話が伝わって、僕の愚痴をそのリーダー格の同期と取り巻きの後輩複数で話してるのを聞いちゃったんですよ。“キョロ充”だった僕のメンタルは大打撃を喰らいました。」


○キョロ充化が止まらない

ーーリーダー格の方とは何があったのでしょう

ハッキリ言ってこの人は全く悪くありません。ここだけは彼の名誉のためにもはっきり言います。」

「春の大会前に学校の近くにチェーン店のハンバーグ屋さんが建ったんです。そこに行こうってなったのですが、そのメンツに僕が入っていないと。当時“いつめん”にやたらこだわっていた自分は、そこに自分がいないのが怖くなってしまいました。で、強引に行ってしまったんです。呼ばれてもないのに。

ーーうわ、イタイやつ(笑)まあ、気持ちはわかりますよ。

「そこから『なんだコイツ』ってなって、少しずつ自分が避けられ、リーダー格の彼に合わせるように『それは大久保が悪い』となり、悪い噂が波及して、ドンドン僕の居場所がなくなりました。」

ーーしんどいですね。確かにその状況でしたら同期4人と一緒に行動してしまいますよね。

「僕と仲良くしてくれた人たちですからね。感謝はしていたんですよ。でも、それとこれとは話が別。」

「この話は自分が仲良い友達との友情を選んだ…ではなく、自分の背番号9への情熱は所詮その程度だったと解釈するべきかと思います。」

ーーそういう見方もできますね。

「しかし、自分に第2のチャンスが与えられました。『ライトお前らで決めろ事件』と勝手に名付けている出来事です」

ーー詳しくお願いします。

○「お前らで試合に出る奴決めろ」

「その時までにセンターとレフトはレギュラー確定、ライトの座を僕を含めて5人で争っているという感じでした。僕は下から数えた方が早い…みたいなポジションでしたね(笑)しかし、誰も目立った結果は残せず、僕も全く存在感は出せていませんでした。」

「そしたら顧問が匙を投げまして(笑)ある6月の練習試合で『お前らでライト決めろ』と言い出したんです。で、誰がやるってなって、空気が一気に重苦しくなりました。」

「ちょうど、その近辺で夏の大会に向けて緊張が高まっていたのと、同期仲にヒビが入っていたこともあり『ライト誰がやる』というその空気は信じられないほど重いものでした。で、みんなの視線が1番“マシな成績”を出していた人に向けられました。『空気読んでお前行け』と。」

ーーそこで、手を挙げたんですか?

「そうなんです。信じられないくらい重い空気で、震えながら手を上げました。手を挙げた瞬間の周りの凍てついた視線は今でも覚えてます。誰だかは覚えていませんが『おい』という声も聞こえましたね。」

「その中で、主将のやつだけは僕が手を挙げたのを見てなぜかニヤニヤしているんです。で、『大久保しかいないな?』って言ってそのまま顧問のもとへ走っていきました。その試合は僕がスタメンでした。」

ーー最高です!!ここで一気にレギュラー獲得!!!

「…とはならなかったんですよ(笑)緊張でガッチガッチで3三振しました(笑)現実なんてそんなもんです」

ーー残念(笑)

○主将への負い目

「また、この期間ではチームの空気が最悪になりました。というのも、春の大会や練習試合で勝てないのが続き“殺伐とした強豪校の空気感”で練習しようという主張が大勢を占めていました。」

「しかし、主将ともう1人はそれに反対していたんです。『今まで死ぬ気でやってたわけでもないのにいきなりそんなことして上手くいくわけない。俺らには俺らに合ったやり方がある』と。」

ーー後者の方が個人的には妥当に感じますね。

「そうですよね。しかし、結局は前者の空気感が採用されました。その後は我々に合わぬチームの空気からどんどん同期の仲が険悪に。僕が手を挙げた時にはチームの信頼関係が死んでいて、『余計なことすんな』という空気感になったのはそうした事情もあったんです。」

ーーなんというか、みんな全力だからこそ…という感じを受けます。そうした空気感は最終的にどうなったのですか?

「元に戻りました。ただ、これは今物凄く反省していることでもあるのですが、チームの空気を“楽しく”に戻す時、僕らは“殺伐とした強豪校の空気”に大反対する主将ともう1人に謝っていなかったんです。その辺りを曖昧にして、いつも通りに戻った。みんなで話し合って詫びるべきでした。『俺たちが間違っていた』と。

ーーたしかに。大事ですね。

「それを強く感じたエピソードがありまして。」

ーー話してください。


○主将

「チームの空気が“殺伐”から“和気あいあい”と二転三転する中、1番しんどい想いをしているのは主将です。特に彼は前述の通り、チームの空気を殺伐とした方向に向かわせるのに反対していた人物です。それが方向転換しても、我々からは何の謝罪もない。本来ありたかった像とは何も関係ない方向にチームが進み、メンタルにかかる負荷は想像を絶するものだったと思います。」

ーーたしかにそうですね。僕が同じ立場だったら匙を投げたい。

「ある日、それが爆発してしまいました。練習試合で主将がチャンスで打てず(4番でした)、更には守備でもミス。らしくない精彩を欠いた動きでした。そして試合後、部室で弁当を食べていると彼の姿がありません。急いで部室を抜け出して探してみると、筋トレ器具が置いてある、ネットに囲まれた野外倉庫で泣いていたんです。」

ーーこれは辛い…。

「僕は慌てて声を掛けましたが、自身もレギュラーはこのままいったら恐らく無理だし、前述の通りやりたくもないことをさせた負い目があり、全く励ますこともできませんでした。最終的に『ホントにごめん』と言って僕が大号泣。側から見たら『泣いてる僕、励ます主将』という構図でした(笑)『何でお前が泣いてるんだ』とツッコミが入る状況でしたね(笑)」

ーーそんな中でチームをまとめた主将の方には頭が下がりますね。

「その通りです。一生勝てません。僕がコイツに勝ったと思う日は一生来ないと思いますし、来なくていいです。


○高校野球の問題点

ーーそんな危機もあり、夏の大会を迎えることになりました。最終的に“背番号9”はどうなったのでしょうか?

「その後も目立った活躍をする人間はいなくて、僕もからっきしだったのでライトのレギュラーは半ば諦めていました。

ーー諦めてた!?どうしてですか?

「試合に手を挙げてまで使ってもらったのに全く結果を残せず『俺、シンプルに野球向いてないんだろうな』と思ってしまったんです。練習が苦痛でしかなかったですね。」

「むしろ顧問が“懲罰”の意で走り込みを指示した時の方が燃えていました。走るの好きだったんで。」

「野球も正直嫌いになってて、夏の大会前に雨が続いたことがあったのですが、レギュラーメンバーが『ヤバいな…』と言っている中、自分は『今日のメニューは校内でランニングや!』と上機嫌に…。そんな自分が嫌いでしたね。練習真剣に取り組むキャラを必死に作っていました。」

ーーお話聞いている限り、練習に真剣に取り組む姿勢は嘘ではないと思えるのですが。

「あ、それはその通りですね。当時は真剣にやってる“つもり”でした。ただ、その後の浪人と早稲田の応援部、家庭教師の経験で『本気でやるとはどういうことか』を知ってしまいました。だから、当時の自分の取り組みに対して“本気”という言葉でどうしてもラベルを貼れないんです。」

ーー納得しました。ただ、それは教育者側にも問題があったのではと感じてしまいます。

「もちろんそうですね。高校野球の悪いところだと思うのですが、レギュラーメンバーが固まりすぎてそれ以外のメンバーが『俺は控えだな』と決めつけてしまい、成長の度合いに大きな格差が生まれてしまうんです。当時の僕個人の努力では覆すのが難しかったのも事実ですね。『試合に出る』ってそれほど大きいことなんですよ。」

「また、こうした僕の主張に『甘え』だと言う人もいると思います。『ポジションは奪うものだろ』と。もちろん理解はしていますが、大多数の人間が劣等感に塗れながら裏方の仕事をしていて、その間にはレギュラーメンバーがさらに大きく羽ばたいていく…という側面が“教育の一環”である高校野球に持ち込まれるべきなのかという議論とは、また別の話なのかなと。」

ーー高校野球の大きな問題点ですね。

「そうなんです。しかもこれって野球に限った話ではなくて。こうやってレギュラー張った人間は基本的に勉強をやってもうまくいく可能性が高いんです。」

ーーいや、分かりますよ。意外なくらいガリ勉って偏差値上がりませんよね。

「そうなんです。むしろ、部活の経験から『自分はやればできる』という根本の自己肯定感、自分はこうすれば伸びるというノウハウをある程度持っている、試合での緊張感に慣れている…という点で、部活をやりきった人間の方が有利とすら言えます。」

ーーたしかに。

「その負のスパイラルの最下層にいた当時の僕がそれを個人の努力で変えるのは難しかったのかなと。」

「最近高校野球の競技人口が減っているという話があるじゃないですか。けど、僕から言わせれば当然ですよ。あんな辛いこと、誰が好き好んでやるかと(笑)」


○“背番号9”

ーー話が少々脱線しましたね。

「そうですね、すみません(笑)」

ーーその後、心のどこかに諦めを抱えながら夏の大会までを過ごした…、最終的に“背番号9”はどうなったのでしょうか?

「本当にビックリしたことに、背番号発表の日、僕の手元には9番が与えられました。」

ーーえ!?

「意外ですよね。僕も『なんで?』って感じでしたし、何よりも他の同期から『なんでアイツが』という陰口があったことも知っています。僕が逆の立場でもそうしますよ、正直」

「その後の夏の大会ではチームはサヨナラ勝ちで初戦突破、次には春の大会で顕著な成績を残しAシードを獲得したチームと闘い、0-4で敗北。しかし悔いはありませんでした。」

ーーたしかに。Aシードに負けるって、公立高校としては一種の誇りですよね。

「そうなんですよ。だから、チームとしては最後にはまとまって良い形で終われました。しかし、僕は釈然としなかった。」

ーー“背番号9”ですね?

「その通りです。試合ではライトで出た人がサヨナラタイムリーを放つなど大活躍、僕が試合に出る隙間はありませんでした。恐らく僕を起用する選択肢は顧問の頭の中にもなかったはずです。なのに何で俺が9番なのかと。正直、名ばかりで終わるくらいなら、自分の実力に妥当な番号を与えてくれた方がありがたかったので。」

「最後の試合後、涙も枯れた後に僕は顧問に『何で俺が9番だったんですか』と聞きにいこうとしたんです。すると、顧問は僕に握手をしてくれ、僕がそれを聞く前にこう言いました。」

お前しか試合に出たいって言ったやつ、いなかったからなあ。

ーーなるほど。レギュラーは背番号が何番でも試合に出れますが、背番号9はちゃんと「試合に出たい」という意志を示した人間に与えたかった。

「そういうことです。」

「僕の夏はこうして終わりました。レギュラーを奪い試合には出ることは叶いませんでしたが、今思えば自分の原型はここで完成した感じがしますね。」


○箱根駅伝と応援団長

「後日談を3つほど。」

「僕はこの経験から『実力が足りなかろうと手を挙げなきゃいけない時がある』ということを学びました。それまで周囲の目線ばかり気にしてた僕が、ようやく自分の意思で生きていこうと思えたんです。」

「まず、僕は箱根駅伝に出ようと思いました。」

ーー随分ぶっ飛びましたね(笑)なんでまた?

「元から、野球の練習以上に走るのが好きだったんです。ランニングも毎日やってましたし、校内のマラソン大会も常に上位でした。甲子園よりも箱根駅伝ばっか見ていまして。恐らく今高校時代に戻ったら周囲の目線を気にせず陸上部で長距離走をやったのかなと。」

「で、箱根駅伝に出るには早稲田や中央など強いチームに入る必要があり、自分にその実力はない。だったら、あまり強くない大学に進学し、予選会で暴れて関東学生連合の枠で出ればいいんじゃね…という暴論に近い逆算です。ここで僕が狙いを定めたのは明治学院大学と立教大学でした。で、ここに勉強して入るぞと決めたんです。そこからはランニングと勉強の日々でした。」

ーー意外と理論的でした(笑)

「失礼な(笑)」

「また、9月の体育祭で応援団長に立候補しました。元から、絶対コイツがやるだろってキャラの奴がいたんです。『クラスの集合写真で1番前で寝てるやつ』とでも言えば分かりますかね(笑)」

ーー分かりますよ。みんなのアイドル。

「そいつがやるだろって空気を押し退け、俺がやるで通しました。色々言われましたよ〜。けど、多少は気にしましたが、あまり気にならなかったですね。」

「体育祭本番も僕は正直実力不足でした。けど、悔いは不思議なほどなかったんです。やりたいことを押し殺して嫉妬に塗れた表情をしているより、実力不足の烙印を押されて周囲から悪口を言われることの方が“マシ”だということに気付きました。」

ーー“キョロ充”をどんどん卒業している感じが伝わってきます。


○主将との後日談

「次に、色々とあった主将との後日談を。」

「僕が試合に出たいと手を挙げた時、周りが『おい』という反応をしている中、唯一笑っていたのがその主将でした。これは引退後の高校時代か、卒業後のことかは記憶が定かではないのですが、僕は彼に『あの時どう思った?』と聞いたんです。そしたら主将は笑いながらたった一言、こう答えました。」

『やっぱりコイツか〜』って思ったわ。

ーー良い主将や。惚れました。

「僕の人生の中で未だにコイツを超える“主将”に出会えていませんね。深みを感じる人間でした。」

「また、これは母から聞いたのですが、その主将が家族で話した時に、僕が号泣しながら励ました(?)時の話をして『アイツは本当に良い奴だ』と言ってくれていたそうです。」

「主将のお母様はチームがバラバラになる中、辛い表情で部活に行く息子のことが気になっていたようで、その最中でこのエピソードがあり、とても嬉しかったようです。それで、僕の母にメールでお礼を下さったとのこと。」

ーー良いお母さんや。惚れました。

「『直接言えやコラ』って感じですけどね、僕からしたら(笑)」


○浪人が確定した瞬間

ーーそんなこんなで勉強をする日々だったと思います。最終的には浪人して早稲田に合格しますが、受験前から『落ちたら浪人する』とは決めていたのですか?

「正直、無意識では『受かろうが落ちようが浪人する』と決めていたんです。」

ーーえ、どういうことですか?

「母との会話がその発端です。」

「ある日、成績が上がり勉強が楽しくなってきた僕との会話の中で母はこう言いました。」

友博は浪人すれば早稲田行けるだろうね

「母は僕の勉強に関するポテンシャルを見抜いていました。だから『立教を目指す』と言わずに早稲田レベルの大学を狙ってほしかったとのこと。」

↓↓僕の学力の土台となった母の教育↓↓

「色々ありましたが、この段階で浪人するのは決まっていました。その証拠に、明治学院大学に合格して立教大学には落ちましたが、その結果を見ても何も心が動かないんです。『はい、落ちた』、これで終わり。涙も笑顔もなし。それ以上でもそれ以下でもない。」

ーーそれを聞くと、心の中では浪人したかったのだと思います。

「そうですね。上の記事でも触れましたが、勉強は苦手でしたが、何かを学ぶことが大好きだったんです。本もたくさん読んでいました。しかし、早稲田に行ける自信はなかった。だから立教や明治学院に狙いを定めた。」

「今振り返れば『箱根に出たい』という自分の目標は、立教や明治学院を目指すための“方便”だったと思うのです。本当に望んでたのは、大好きな勉強で大きな結果を残すこと。母はこれを見抜いていたのだと思います。」

ーーその気持ちが、合格発表を見ても全く感情が動かないという形で表面化したのでしょう。

「その通りです。立教の試験日が2/4、発表日が2/11だと記憶してきますが、僕はこの日も勉強していました。基礎レベルのやり直しです。浪人する気まんまんという(笑)」


○3月〜勉強と告白

「立教の合格発表から、3月を勉強に捧げました。本当に遊びませんでしたね。遊んだのは、カラオケに1度、卒業式の前日と当日に2度、お泊まりパーティーで1度。まあまあ遊んでるじゃんって思われるかもしれませんが、遊んだ日を数えられるくらいには勉強してました…ってことを言わせてください(笑)」

ーー了解です(笑)でも、その通りですよね。

「浪人生って3月は遊んで勉強は4月から本腰を入れる方がとても多いんです。それでも、僕は全く気にせずに基礎固めに集中しました。」

「そんな中、やりたいことがありました。好きな女の子への告白です。」

ーーおお!!!!

「僕は卒業式に好きな女の子を呼び出して、告白。見事に木っ端微塵に振られました(笑)」

ーーあらまあ(笑)

「今振り返ると僕を選んでくれるわけがないんですけどね(笑)浪人するなら受かってから告れよって話なんで。振ってくれて感謝しています。」

「僕の高校時代はこうして終わりました。レギュラーは取れず、好きな子に振られ、志望校にも入れないー。負け続きの高校生活でした。」

ーー次は浪人編ですね。

「まだまだ続きます。長文にお付き合いください。」


おわりに

高校野球は僕にとって自分の負の部分を詰め込んだような黒歴史の場です。あまり人に話したこともありません。

しかし、これをnoteという形で外に出した今、とてもスッキリしています。

“人生自分語り”の効果を身をもって体感しました。まだ『浪人編』と『応援部編』が続きますが、見られるためのnote記事ではなく、シンプルに自分の人生の負い目を綴り、これから先の踏み台になる記事を作りたいという気持ちでいっぱいです。

まだまだ長文続きますが、ぜひお付き合いください。

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