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【前編】僕が家庭教師になるまで

はじめに

「こんにちは、家庭教師をやっています、大久保といいます。」

ーー自分も聞いただけですが、かなり変わったアプローチをしているみたいですね。

「そう見られても何も文句は言えません(笑)ただ、ちゃんと見ていただければ、本質的な教育を提供していることは理解していただける自信があります。」

ーーそれでしたら、今日は大久保さんが家庭教師を目指された理由をお聞かせください。

「ぜひぜひ。宜しくお願いします。ただ、今回は長いので前編後編に分けるつもりです。先にコンテンツの概要を書いておきますね。

  • 家庭教師の始まりとその挫折

  • 自分の原体験となった父との確執と、時を経て今、心から『お父さん』と呼べるようになった経緯

  • もう1度家庭教師をやろうと思うまでの経緯

かなりの長文です。また、現在は僕は父のことを『お父さん』と呼べているのですが、昔はそういった間柄ではありませんでした。そのため、人によっては前編の方で拒否反応が出てしまうかもしれませんが、後編で心の暖まる、満たされる話をしていますので、ぜひ最後まで見てみてください。」

「最低でも前編で6分、後編で7分のお時間を読むのに頂きます。ただ、その時間を割くに相応しい内容であるということにも自信を持っています。」

「この記事が見てくれた人の人生を180度変えるとは口が裂けても言えませんが、魂を震わせ、人生をほんの少し(1度くらい)変えるものになる自信はあります。ぜひ最後まで読んでいただければと思います。」

本文

□すべてのはじまりは学生時代のアルバイトから

ーー早速ですが、家庭教師を志したきっかけを教えてください。

「大学時代の家庭教師の個人のアルバイトが全ての発端でした。当時早稲田大学に通っていて、知人の紹介で家庭教師に入ったんです。どんなに頑張って分かりやすく説明しても、お子様のなかなか成績が上がらなくて、ご両親に謝りに行ったんです。『高い時給頂いているのに、成績上げられずすみません…』と。そしたら、その時ご両親に言われたのが、お子様が近くにいるのに、『いや大丈夫だよ。大久保くんのせいじゃない。うちの息子は地頭悪いから仕方ないよ。』と仰った。」

ーー子供からしたら辛いですよね。目の前でそんなこと言われたら。

「そうですよね。そういえば、僕の浪人時代にも高校の友人が『親が模試の成績を毎回見せるよう言ってきて、志望校選びに干渉されて大変だ』と悩んでいました。しかしお金を出してもらっている以上、反抗することもできない。毎回模試の結果が返される度、その友人は憂鬱そうに『親になんて言われるかな』と言っていました。その友人は、結局第1志望に行くことができなかったんです。」

ーー今回の状況と根っこの部分は似ているように見えますね。

「そうなんです。一言で言うなら、双方の信頼関係の欠如。親は子を信頼せず、子は親の顔色を伺い努力する。そこで、僕は次の仮説に辿り着きました。『お子様の学力が低い理由は、本当に努力や才能の不足のせいなのか?もっと根本的なところにその要因があるのではないか?』と。後天的な『環境』の部分にその原因を探りに行ったのです。そこでお子様に話を聞いてみるとどうやら家庭教師もご両親の意思で付けたものだとのことでした。よく考えれば当たり前で『ママー!進○ゼミやりたい!』『塾に行きたい!』って言うお子様のことはイメージ出来ても、『ママー!家庭教師付けて!!』って言っているお子様をクリアにイメージできる方はあまり多くない気がします。」

ーーなるほど。『家庭教師を付けるのは子供ではなく親』ということですね。

「はい。そのために、自分の意志でやっているわけでもなく、『自分はどうせできない』と思いながら、怒られないように惰性で勉強してるのであれば、そりゃあ成績も伸びないよな…と考えたわけです。」

ーーそれに対してどのような手を打ったのでしょうか?

「結論から言うと、ご両親に突撃しました。このまま言ったらまずいとぶつかりに行ったのです。最初の反発は凄かったです(笑)。そりゃそうですよね、子供を持ったことがあるわけでもないのに家庭環境について息子のように歳の離れた人間にあれこれ言われて良い気分になる方はいないと思います。」

ーーどのようにその状態を打開したのですか?

粘り強くやった…それだけです。昼間にお母様とお電話を3時間くらいして愚痴を聞いたり、仕事終わりのお父様と飲みに行ったり…。信頼を勝ち取るために色々なことをやりました。」

ーーなかなかアルバイトという立場ではできませんね。

「そうですね。幸運だったのはそのアルバイトがあくまで知人の紹介であり会社を通していなかったことです。通常のアルバイトとは違い自由になすべきことをなせました。僕の本気度が伝わったのか、徐々にご両親とも信頼関係を築くに至り、家族会議を開催して家族全員が本音で話せる空間を作ったり、お子様と夜にラーメンを食べに行って家では話せないことを話したり、モチベーションを高めるために当時通ってた早稲田に僕主催でプチオープンキャンパスをしたりもしました。」

ーーご家庭に変化はありましたか?

「ありましたね。お子様の頑張りを間近で見たご両親からお子様に掛ける言葉に大きな変化が見られました。具体例を上げるとキリがないですが、『ウチの息子はやればできる。私たちの仕事はそれを応援するだけ』などの、お子様への信頼がないと出てこない言葉を投げかけるようになりました。『あの子最近すごく頑張ってて、何か他にできることはないのかな?』と僕に聞いてきたり。」

「早稲田大学へのプチオープンキャンパス以降、お子様も目の色を変えて勉強に取り組むようになりました。自分が毎日惰性でやっていた勉強が、実は自分の人生を良くするものであったということに、気がついたのだと思います。」

ーーその変化は成績にどのように表れたのでしょうか?

「5教科平均点が自分が家庭に入って次のテストで50点代から60点代に、その次のテストで80点代に上がるなど著しい成長を見せてくれました。その要因は、本音で話せる信頼関係が親子間に構築されたことが1番ではないかと。僕のやったことは、その愛情と信頼を学習環境に反映させただけです。」

□別のご家庭でも同様の経験をした

ーー他のお客様のご家庭でも同じ経験をされたと。

「はい。このお客様の紹介で別のご家庭に家庭教師として向き合うことになりました。前述のような成功体験を複数回積み、自信を深めることができました。」

「一般的な家庭教師って、分かりやすく丁寧に勉強を教える『家に来る塾の先生』という感じだと思うんです。」

ーー確かにそうですね。自分もそのイメージでした。

「しかし、僕はこの経験から、家庭教師って実は物凄い可能性を持っているのではないかと考えました。勉強を通じ家庭環境そのものを変え、人の人生において大きな正の影響を与えうるポテンシャルを秘めていると感じたのです。少なくとも僕の知る限り、『家庭に入り、ご両親にもお子様にもアプローチできる職業』は家庭教師しか知りません。元から『他者にとっての人生の転機を提供できる存在になりたい』という想いがとても強かったんですね。それを実現するのに、これは活かせるなと思いました。」

ーーなるほど。確かに勉強だけを分かりやすく教えるという発想では、例えば、お子様へのアプローチを強める際に『週1回呼んでいたのを2回に増やそう』という発想になりますよね。

「そうなんです。それなら『塾の先生で良くない?』って話になるわけで。せっかく『家庭に入り、ご両親にもお子様にもアプローチできる』という家庭教師にしか持ちえない良さがあるのだから、それを活かそうと。つまり、お子様とご両親の信頼関係を構築し、家庭環境そのものを良質なものへと向上させ、それを学習成果として繋げて反映させる…そこが家庭教師の存在意義なのではないか、というのが3年間やった上での自分の結論です。」

ーー家庭環境にかなり踏み込もうとしていますが、反発はあったのでしょうか?

「もちろんです。その反発故に、言葉は悪いですが、首を切られたこともあります。ただし、ほとんどのご家庭では最終的にはご家族と相棒の関係を築くことができました。全てを…とは言えないのが悔しいところです。傲慢と言われるのは承知の上で言ってしまうと、2年目以降は面談段階で自分の信じる教育に付いてきていただける方以外はお断りさせていただいていました。事前の面談でどこまで想いを重ねられるかー、ここが1番大事なことだと思っています。」

□自身の家庭環境

ーーその反発を恐れないだけの情熱があるということなら、その情熱はどこから来ているのでしょうか?

「結論、自分の思春期を過ごした家庭環境にあります。自分は中学時代に父と上手くいかず、児童相談所のお世話になっていた時期もあり、一時期施設で過ごす方向で話がまとまりかけていた時期もあります。」

「今は実家にも月に一度の頻度で帰り、家族で仲良く会話もできますが、一時期は家庭に居場所を見出すのがしんどかったですね。そして、不思議なことに、家庭内で等身大の自分の姿を受け入れてくれる空気感が醸成されていないと、学校などでの人間関係にも大きな悪影響が出るんですよね。これは僕だけでなく、多くの方に当てはまることだと思っています。」

ーーとても辛かったと思います。
「いや、実は自分も加害者になっていたんですよね。まず、人を手を出させるほどに貶す人間になっていました。先に父親に叩かれたら、児童相談所での話し合いでも『お父さんが悪い』と結論付けられるようになったんです。これが良いことか悪いことかはさておき、僕は自らの頭の中で『先に手を出させれば俺の勝ち』という方程式を作ってしまいました。そのため、家族喧嘩になる度に父親を度を越した貶し方をしてしまい、父親も先に僕に手を出させるために口汚い罵り方をする…そのループから抜け出せなくなってしまったんです。これを母や妹、学校などのクラスの人間に対してもやってしまっていました。僕の陰口を聞いていたクラスの他の人は、正直笑えなかったと思います。」

「第2に、自分の言葉で論理を組み立てて人に向き合う前に、自分よりも力の弱い者に対して暴力を振るうようになってしまいました。具体的には、妹との家族喧嘩などです。母親が泣きながら止めに入り、『パパに似てきたね』と言われることが増え、またその言葉に対し逆上しました。図星だったのだろうと思います。」

「第3に、現実から逃げアナザーワールドへと逃げ込みました。具体的にはゲームや小説、マンガです。ゲームならモンスターハンターやメタルギア、ポケモン。小説ならデルトラクエストやアモスダラゴンなどのファンタジーやシャーロックホームズなどの推理小説。マンガはBLEACHやNARUTOなどです。世界観がしっかり構築されているコンテンツが大好きでした。アクションゲームに大した興味を示さなかったのも、当時の自分の趣味趣向をよく表していると思います。家のことを手伝わずに誰かが作った別の世界に逃げ込んでいたのです。現実に戻っても、家にも居場所を見出せませんでしたし、勉強やスポーツが得意でもなかったので、クラスや部活でも孤独感を常に持て余していました。」

「しかし、どこかに居場所が欲しくて、現実世界では承認欲求の奴隷となっていました。いわゆるスクールカーストにおいて自分は何番目なのか?次の休み時間、トイレに誰と行こうか?…そんなことばかり考えていました。また、男3人での帰宅時、前2人に後ろに僕1人となる構図を常に恐れていましたね。前の2人の話題に入れなくなるのが分かりきっていたからです。その場の話に入れなくなることは僕にとって問題ではなく、それを他の人がどう見るかを恐れていました。まとめると、『クラスの主要人物ではないが、主要人物だと思われたい』という人物でした。常に誰かの視線を感じて右往左往する人間だったのを覚えています。今風に言えば、”キョロ充”だったといえるのではないかと思います。」

ーー現在はそうした一面はないと思いますが、転機は何だったのでしょうか?

浪人です。初めて人目を気にせず自分の目標に向かって突き進みました。人生で初めてのあの高揚感は忘れられません。1年で偏差値を20近く上げて早稲田でも最難関の政治経済学部に合格しました。」

ーー人生で初めての成功体験だったのだと思います。それを実現できた理由は何かありますか?

母親ですね。母親が自分に勉強しろと言ったことは一度もありません。しかし、自分は読書を小学生の頃から欠かさずに行っていました。理由は単純で、母親が本が好きでいつも読んでいたからです。僕はその姿に倣っただけ。高校までは正しい方向性で努力ができなかったので、成績に反映されることはありませんでしたが、これが浪人時代にテクニックを徹底的に身につけ、大きく自分の学力を向上させる土台となりました。この成功体験が自分を変えてくれました。また、これは自分が勉強を大好きになった最大の理由でもあります。」

ーー家庭環境の正負の影響を両面から知るからこそ、生徒のことに関して妥協できなかったー?

「そういうことです。『ウチの息子は地頭が悪い』と言われた時のお子様の目の色に自分の中学時代を重ね合わせていました。他者からの承認を求めつつもそれを諦めた目です。自分のようになる前に、何とか手を打ちたいと思ったのです。」

ーそういった経験を、この3年間積んできたと。

「はい。その過程で行き着いたのは『家庭教師の仕事とは、家庭教師の不要なご家庭を作ることである』ということです。」

□家庭教師の存在意義

ー詳しくお願いします。

「親子間や夫婦間での信頼関係が構築されていれば、お子様は自分の意志で努力ができるようになります。後は僕のような家庭教師がそれをサポートするだけ。結果が出ればお互いの信頼はさらに強固になり、お子様は自分の意志でますます努力ができるようになる。そうすれば、家庭教師がいようがいなかろうが、家庭に学習習慣や本音で互いに向き合い、互いに尊重し合える関係性が根付きます。そうすれば、もう家庭教師の出る幕はないでしょう。いわば、僕は自転車の補助輪のような存在です。早く外して、自分で走れるようになるまでの、補助でしかありません。僕が1番最初にご両親に言うのは『早く僕をクビにしてくれ』ということです。『もう我が家の子供は大久保がいなくても勉強できる。もう来なくて大丈夫だよ。』と言われるのがゴールだと思っています。」

「しかし現実には、こうした家庭環境という土台のないままに、例えば『ご近所の頭の良い中学生が行っていたから…』『周りの人が通っているから…』といった理由で塾にお子様を”入れ”て、勉強”させ”ようとする方が多いように思います。そして、それでも成績が上がらずに『せめて家にいる間少しでも勉強してほしい』という思いで家庭教師を家に呼ぶ。こうした状況の上に受験テクニックを身に付けようと、意味をなさないことの方が多いのではないかと。」

「家庭教師として家に上がると、こうしたことが嫌でも目に入るんです。これを何とかするのが僕の最大の仕事であり、それを端的に言語化すると『家庭教師の仕事とは、家庭教師の不要なご家庭を作ることである』となります。」

ーー大企業…例えばアルプスの少女ハイジのCMで有名な某企業様に入ってそれを実現するという手段は考えましたか?

「実はアルバイトをしていた時期に、複数の会社で自分の信じる教育を実現しようとしていた時期もありました。しかし、会社という組織の中で派遣する家庭教師のマネジメントをしている方からしたら、僕のような存在は迷惑極まりないんですよ。ご両親はお子様の勉強のサポートをしてくれる家庭教師を求めていたのに、来る人間が僕…。良し悪しの問題ではなく考え方の相違で、うまくいかないことが多かったです。トラブルのタネになってしまい、本当に反省しています。」

「最初の家庭教師としての原体験と、そこからの紹介で積み重ねた経験は、『会社を通さず、実質個人で行っていた』からこそできたことだったのです。ここに考え至る前に、安易にアルバイトとして他社に登録してしまったのは自分の大きな落ち度だったと思います。」

ーーそうした失敗もあり、個人でやろうと。

「自分の信じる教育に責任を負って、家庭でトラブルが起こったら全部自分のせい。そういう気持ちでやらないとうまくいかないなと思いました。最初からご両親に自分の信じる教育の強みと弱みを理解していただいた上で、家庭に上がろうと思ったのです。『事前の面談を大事にしている』と前述しましたが、こうしたところにその背景があります。」

ーーそこから個人事業として始め、現在に至ると。

「そうですね。様々なご家庭を見てきましたし、甲子園に出場したり東大に合格したり、そんな思春期に大きな成果を叩き出したご家庭に直接上がって、勉強云々以前に『自分の人生を自分で切り開く力を持ったお子様』が育っ(を育て)た環境に共通する”匂い”も嗅ぎ取ることができるようになりました。そうした経験を共有し、同様の環境を作り、学業面だけではなくご家族の人生そのものに対して良い影響を与える存在になろうと腐心してきました。多くの家庭に向き合った経験は、いずれ自分が家庭を持った時に大きな力になると思います。」

ーー2022年にYouTubeチャンネルを立ち上げていますね。

「これらの経験を発信して共有しようという思いで立ち上げたチャンネルでした。結論から言うと、ここで大きな挫折を味わうことになります。」


おわりに

後編の記事はこちらから



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