レヱル・ロマンス4話原稿

おまたせ致しました。
原稿公開です。

2023年3月18日、日本一小さな大手私鉄と言える相模鉄道が、大きな夢をかなえました。
それは、新横浜駅への乗り入れ。
この乗り入れは、2006年5月25日に都市鉄道等利便増進法に基づく整備構想認定が申請されてから、約16年10か月の時を経て、ようやく実現したものです。
今でこそ、おしゃれな列車が闊歩するようになった相鉄線ですが、その成長の影には、とある車両の努力があったことをご存じでしょうか。

昭和42(1967)年7月

Next scenario…「相鉄アルミ車の夜明け」

1967年、緑色と白の車体に、赤帯をまいた電車が闊歩していた相鉄に、突如銀色の車両が現れます。
彼の名は、モハ6021号。
銀色に、警戒色を兼ねた前面の赤のアクセント。
こうなると、次世代新型車両はアルミ車体で製造という流れになります。

※メートルを「m」にすること。

しかし、当時はアルミニウムが非常に高価で、当時は中小私鉄だった相模鉄道にはそのような車両を作る資金がないばかりか、神奈川東部方面線計画の一部だった、いずみ野線の開業準備もあって、なかなか車両ばかりに集中投資ができなかったのです。
そこで、17メートルつりかけ駆動車の2000系、18メートルモノコックボディだった5000系を、20メートルアルミボディに生まれ変わらせたうえで、2100系、5100系としてそれぞれ命名しています。
2100系に至っては、途中で相鉄初のSIVを採用したり、後期ロットに至っては冷房を搭載し、「冷房付き大型つりかけ駆動通勤電車」という胃もたれしそうな称号を頂戴しています。
2100系や5100系の成功は、後年に生かされることになります。

昭和50(1975)年9月

Next scenario…「7000系登場」

1975年、相鉄に新メンバーが加入しました。
彼の名は、7000系。相鉄初の新製冷房車として、当時はかなりの注目を集めました。
足回りの基本設計は新6000系、車体デザインは、2100系や5100系のものをベースに、やや前面が離し目なデザインになっています。
アルミ車体にしたことで、総車体重量がベースになった新6000系と比較して約5トン軽くなっているのも特徴です。
彼らの車体の特徴として、骨組みと外板が重なる部分は板を張らず、骨組みをむき出しにするという手法で製造されたものでした。

側面方向幕はシンプルな運行体系であることから、このように種別のみの表示です。
台車はもちろん、相鉄伝統の直角カルダン駆動。ベンチレータはガーランド形です。
パンタグラフはPS16型を搭載していましたが、一部にPS13型搭載車も存在していました。

ブレーキは、5000系から受け継がれてきた日立式電磁直通ブレーキを採用しており、このように機関車や国鉄気動車でみられる、自動空気ブレーキと同様の操作となっています。
日立式電磁直通ブレーキ、本名を「電磁直通弁式電磁直通制動」と呼ぶこの装置は、電磁直通弁と呼ばれる装置を編成各車に取り付け、この装置に直接電磁制御器から指令を行うことが特徴でした。
電気信号を用いるため、電気指令ブレーキ並みの応答性に優れており、万が一電気回路が断たれても自動空気ブレーキに切り替わります。
また、一般的な電磁直通ブレーキと異なり、エア音がしないことも特徴です。

このブレーキが採用された背景として、ウェスティングハウス社のライセンス回避のため、ブレーキ弁の角度と強さが比例するようになる部品であるセルフラップ弁、電空切り替え時間のラグを短くする部品の締切電磁弁、
電空切り替え機構を司る射込弁等と言った部品が使えないという事情があったためでした。
ブレーキ操作は面倒な一方で、電気制動を搭載していないことから、減速の際はかなり静かでした。
更に、車掌に乗降扉が開いていることを知らせる側灯の他に、空気制動が作動している間にだけ点灯する制動灯があります。

当初はクハ7500、7700形、モハ7100-7100形のユニットが登場し、新6000系モデルの8両編成と、2100系モデルの6両編成が存在しました。
6両編成は後年、サハ7100形の増備で7両、8両と成長し、4+4の分割編成と、8両貫通固定編成の2種類の8両編成が存在することになります。
このころ、ラッシュ時対応のため、制御電動車のモハ7000形が製造され、モハ7100形とユニットを組むことになります。
最終的に彼らは11ロット、80両が製造されました。
ちなみに、7000系が生まれたころ、2100系が足回りを一新し、7000系とほぼ同等のカルダン駆動車に生まれ変わっています。
ただ、先に更新された5000系改め5100系と2100系は、ブレーキが一般的な電磁直通ブレーキであることも特徴です。
彼らの相違点は、5100系が発電制動併用タイプ、2100系が7000系と同じ空気制動のみという点です。

昭和61(1986)年5月

Next scenario…「モデルチェンジ」

1986年、若草色の電車が闊歩する相鉄に、新風を吹かす車両がやってきました。
当時としては珍しかった、車内案内表示器、そして当時流行のブラックフェイス。
足回りは抵抗制御だったため、7000系に分類されますが、デザインが変わったため「新7000系」とも呼称されるようになりました。
7713Fと7715Fの2編成が導入され、これが相鉄最後の抵抗制御車の導入となりました。
彼らも当然、分割可能編成として導入され、6両と4両に分割が可能でした。
一説にはこの車両で相模線直通をするという説もあったそうですが、真相は闇の中です。

昭和63(1988)年

Next scenario…「新時代を切り開く。」

1988年に登場した編成は、7000系でありながら、7000系でない、そんな車両でした。
というのも、元をたどれば、日本の復興を支えた63系などにたどり着く3000系を車体更新した3100系を冷房化、新性能化ついでにVVVFインバータ制御にした、3050系の試験結果が非常に良好であったことから、彼も採用することになった流れです。
VVVFインバータ制御になったおかげで、主電動機ブラシのメンテナンスが不要となり、さらに電動車両数の削減にも成功しました。
車両番号下2桁を「51」からふったため、「7050系」「7000系50番台」として区別されることもあるそうです。
時を同じくして、5100系もVVVFインバータ制御となり、5000系を再び名乗るようになるも、車両番号下2桁を「51」からふったため「5050系」と呼ばれることもありましたが、公式は「5000系」と紹介しています。

7753Fからは、相鉄で初めて貫通固定編成を採用し、編成の自由度は下がったものの、輸送力向上に寄与しています。
さらに、7755Fからはセミクロスシートを試験採用し、好評だったためか、8000系と9000系に採用されることになります。
ここまで新機軸を積極的に採用しながらも、骨組みむき出しのアルミ車体、脈々と受け継がれてきた日立式電磁直通ブレーキや制動灯を装備していたり、ガーランド形ベンチレーターを搭載しているなど、彼もまた「7000系」の一員であることを強く実感させる車両でした。
こうしてみると、良いことづくめに思われますが、次のような問題が発覚します。

・電動車比率を下げたは良いものの、VVVFインバータは粘着力が不足したばかりか、軽量車体ということで悪条件時は空転・滑走が多発(これはJR東日本の209系やE231系でも同じ問題が起きています)
・日立式電磁直通制動がただでさえ特殊なブレーキであることに加え、回生制動併用タイプとなると、作用機構が非常に複雑になってしまった。(5000系もかつて、発電制動併用だったが、使いにくさからか、車体更新時に普通の発電制動併用電磁直通制動になってしまっている)

こういう事情もあってか、7000系VVVF編成はわずか4編成で増備を終了し、8000系と9000系に増備が移行されることになります。

8000系以降の車両は、ブレーキ装置が電気指令ブレーキになったばかりか、
種別のみの側面表示や、ガーランド形ベンチレーター、制動灯も姿を消しました。

そして、相鉄の主力として活躍してきた彼らも、いよいよ「その時」がやってくることになったのです。

平成14(2002年)

Next scenario…「終わりの始まり」

2002年に現れたその車両は、今までの相鉄の車両とはかなり毛色が違う車両でした。
E231系ベースの車体に、平行カルダン駆動。車内には鏡もカーテンもありません。
彼の名前は、10000系。
この車両は、東急5000系一族とともに、「通勤・近郊電車の標準仕様ガイドライン」制定のきっかけになっていきます。
10000系の増備により、2100系と新6000系が引退し、相鉄から鋼製車両が姿を消しました。
その一方で、このころになると、車庫内牽引車業務を担っていたED10形や、検測担当のモニ2000形が老朽化していたため、余剰になった増結車ユニットが改造を受け、モヤ700系として生まれ変わりました。
モヤ702、704号は先頭車化改造を受けており、新6000系の廃車発生部品が使用されています。

こうして、全車現役を貫いていた7000系ですが、彼を事故が襲います。
2005年4月27日午前9時頃、7707F担当の横浜発二俣川行き各駅停車が、当時地平だった天王町を発車直後、乗用車に衝突され、2号車から4号車が使用不能となりました。
乗員乗客約130人にケガはなかったものの、乗用車の運転手が重傷を負う事態となりました。
これにより、廃車予定の5000系5053Fがピンチヒッターとして復活したほどでした。
事故被災後、5号車から8号車は7710Fのうち、休車になっていた横浜側4両と組んで翌月に復帰、クハ7707号も1年半ほど休車になって復帰しています。

2006年からは老朽廃車が開始され、踏切事故被災車を含む8両が廃車になりました。

このころより、新7000系を中心に更新工事が行われ、中間に入る先頭車が貫通可能となり、転落防止幌も装着されています。
この時、ドアチャイムが鳴動するようになったほか、一部の車両のパンタグラフがPS16型からシングルアームタイプに交換されています。
また、冷房装置が代替フロン使用品に交換され、3種類あったクーラーバリエーションが統一されています。
2007年からは、相鉄グループのマーク刷新により、新7000系の塗装が10000系に準じたカラーリングに変更されています。
旧7000系にもCIマークが貼り付けられ、若干印象が変わっています。
2008年6月1日からは、翌年の横浜港開港150周年に備え、一般から募った絵を貼り付けたラッピング電車、「走れ!みんなの横浜号」が1年間にわたって運行されました。
このような広告列車は、かつて「GreenBOX」を名乗る列車が7755Fで運行されていましたが、それほど効果はなかったようです。
そして、またも事故が発生してしまいます。

2008年12月14日19:24頃、7711Fの湘南台発横浜行き各駅停車が、緑園都市~南万騎が原付近のトンネルを走行中、過電流によりトンネル内で立ち往生してしまいます。
この編成は1時間前にも同じ故障を起こしており、二俣川で車両交換をする予定でした。
立ち往生した彼は、10708Fの推進で二俣川へ向かい、引き上げ線に収容されるも、
モハ7109号の床下機器が焼損しており、厚木に疎開の後、廃車になりました。
この時、ピンチヒッターで7713、7715Fが一時的に8両編成になっていました。

2009年には、E233系ベースの11000系がデビューしたため、旧車体時代から数えると54年、車体更新からは36年半の天寿を全うし、5000系が引退したほか、旧7000系8両編成3本と、新7000系全編成を対象に、デジタル無線、ATS-Pが取り付けられます。
この時、貫通扉を塞ぐように機器が取り付けられたため、実質固定編成となってしまいました。
最終的な編成組成は、このようなものになり、10両編成が消滅しています。
かつては編成組み換えを頻繁に行っており、編成によってはこのようなカオス編成もあったそうです。
これも、電動車に補器類を集中配置していた旧7000系ならではの編成と言えるのかもしれません。
2011年には、モヤ701号が東急テクノシステムでトロリ線磨耗・偏倚・ATS・無線測定装置・動揺検出器を新設し、一部のドア・窓が埋められた他、台車には動揺検出器が取り付けられています。
この検測パンタグラフは、相鉄初の下枠交差型になっています。
この年には7715Fのモハ7156、7157ユニットが抜かれ、休車になったほか、先ほど紹介したカオス編成に連結されていたサハ7601号が、塗装試験を終えて、白一色で厚木に留置されていたこともありました。
2014年には、特急列車が新設され、最後まで旧塗装を保っていた7755Fが撮影会の後、新塗装に塗り替えられています。
この時、新7000系の車内案内表示器が一時使用停止されていましたが、すぐに更新されています。

それ以降は平和に過ごしてきましたが、2015年から始まった「相鉄デザインブランドアッププロジェクト」にあたり制定された「YOKOHAMA NAVY BLUE」への変更対象外となり、先が長くないことが予感されます。
ちなみに、2015年には、本線快速、いずみ野線特急の新設により、このような種別表示に更新されています。
2017年6月には、7710Fが検査を通過しています。
しかし、彼らの終焉の時は、確実に近づいていたのです。

平成29(2017)年7月

Next scenario…「新たな伝統へ。」

2017年7月31日、とある車両が下松から輸送されました。
8000系最終編成の8713F以来、実に18年ぶりに日立製作所にて製造され、どこかレトロな雰囲気を漂わせつつも、近未来的な大胆なデザインの車両。
彼の名は、東急線直通用に製造された、20000系です。

※デザイナーの水野学氏は「昔、茅ヶ崎の線路沿いで見たブルートレインの機関車(EF66)をインスパイアしたデザインにした」と語っています。

相鉄で初めてのT字型ワンハンドルマスコンが採用されたり、半自動ドアスイッチが装備されるといった新機軸がかなり採用されている一方で、車内の鏡やブラインドが復活するなど、JRベースの車両とは違った毛色の車両となっています。
また、東急線方面への直通のために久々にストレートボディで製造されています。
彼は調整に手間取ってしまい、2017年12月のデビュー予定が2018年2月に延期されたこともありました。

20000系のスタンバイが続く中、2018年1月にはモハ7156、7157ユニットが他の休車と廃車になり、新7000系から旧塗装が消滅したほか、20000系のデビューで7707Fが運用離脱、代替で7713Fが8両となったため、モハ7150、7151が抜かれることになりました。
この時、なぜか7707Fは横浜側4両のみが残されていました。
2018年末には、JR埼京線直通用の12000系も製造され、2019年4月に7712Fと並べて無料撮影会が開催された後、4月20日に営業運転を開始しました。
この時、7712Fが運用離脱したほか、7707Fの横浜側4両と7713Fの8両化によって抜かれたモハ7150、7151が廃車となり、7000系新塗装車初の廃車となりました。

そして、一編成のみとなった7710Fに、思わぬサプライズが舞い込んできます。

平成31/令和元(2019)年4月

Next scenario…「銀色に赤い電車の最後の輝き」

2019年4月のある日、7710Fが10両編成となり、試運転を行っていました。
これは、ゴールデンウィークに合わせた特別運転の準備だったのです。
往時とは異なるものの、混合パンタグラフ、10両編成という圧巻の姿は、去り行く平成と、令和の始まりに華を添えてくれました。
特急運用にも例外なく充当され、往年の輝きを見せつけてくれました。
しかし、最終日に故障を起こし、そのまま8両に戻ることになってしまいました。
この特別運転に先立ち、7712Fがいったん休車になったうえで中間車3両を供出することになりましたが、その休車で延長した検査期限が満了となり、廃車になりました。
その後、7713Fが6月に廃車になり、7000系営業車両から混合パンタグラフ編成が消滅しました。そして、2019年10月14日、JR直通用に製造された12000系と並べたさよなら撮影会が相模大塚駅の電留線で行われ、多くのファンに惜しまれながら、変わりゆく相鉄を見ることなく、7710Fは旅立ちました。
1980年に製造されてから、約40年の生涯でした。
11月29日には、7715Fが運用を離脱しています。

令和2(2020)年11月

Next scenario…「さらば、相鉄7000系。」

2020年に入ってそうそう、JR直通線開業前日に運用離脱した7715Fが廃車のため陸送され、相鉄の営業車全車がVVVF車となりました。
さらに、そのあとを追うように、7755Fが廃車となったあとは、しばらくは小康状態が続きます。
しかし、8月に20000系の増備が再開され、10両固定編成のパイオニアだった7753Fが廃車となりました。

そして、10月1日には11月7、8日にお別れイベントを行い、引退することが発表されます。
その知らせのあと、7751Fが廃車となりました。この編成が廃車になったことで、営業車から分割可能編成が消滅しました。
その後、最後まで残った7754Fが2020年11月8日のお別れ会の後に廃車になり、ここに「相鉄7000系」は全車両引退となりました。
また、7754Fの廃車をもって、日立式電磁直通制動搭載車が営業車から消滅し、モヤ700形を残すのみとなりました。
そして現在、モヤ700形が最後の7000系ファミリーの生き残りとして活躍していますが、今後の状況は不透明です。
モヤ700形も一時期、パンタグラフが3種混合だった時がありましたが、現在はシングルアームパンタグラフと下枠交差型の混合になっています。

相模鉄道を大手私鉄に成長させる礎を完成させた7000系一族。
モヤ700形が引退すれば、「相鉄顔」は消滅となります。
でもこれからは、20000系一族が、「新・相鉄顔」として活躍してくれることでしょう。

参考文献

・復刻版 私鉄の車両20 相模鉄道(ネコ・パブリッシング/飯島厳・小山育男・井上広和著/2002)
・「鉄道ピクトリアル」(1999年7月増刊号 p.183「相模鉄道 現有車両主要諸元表」(電気車研究会刊)

※一部現車調査含む。

参考サイト・動画

・相模鉄道公式サイト
・相鉄・東急直通線特設サイト
  (独立行政法人 鉄道建設・運輸施設整備支援機構・相模鉄道・東急電鉄)
・事故廃車一覧~私鉄~(Red Liner様)
・迷列車で行こう 現代の相鉄編第六回(海都様)


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