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淡月の祈り

月鈴ユーリンさま」

背後から侍女の紅花ホンファに声をかけられ、はっと我に返った。
また、棺が運び出されるのを見送りながらぼんやりしてしまったようだ。

「本日も一日、お疲れ様でございました。本日の祭詞奏上さいしそうじょうも素晴らしゅうございました」

「ありがとう。でも、母上に比べたら私なんてまだまだよ。もっと精進しないと」

「ご無理は厳禁でございますよ。
……この後もまた、翠蘭スイランさまのお部屋に?」

「ええ、そのつもり」

「かしこまりました。それでは、戻られてすぐ湯浴みができるようにご準備いたしますね」

「ありがとう」

衛兵を従えて祭事場を後にすると、母が過ごす部屋へとまっすぐ向かう。
今日は身体の具合はどうだっただろうか。

母に会いに歩く道を、雲の隙間から月が淡く照らしていた。

***

「失礼いたします、母上」

寝台からこちらを見やった母は眉をひそめた。
また、怒られてしまうだろうか。

「また来たのですか、月鈴ユーリン

「母上のお身体が気になりましたもので……。
お加減はいかがですか?」

「何ら変わりありませんよ」

先週より痩せた様子でありながら淡々と答える母。涙腺が緩んだのを感じて、右手をぎゅっと強く握りしめた。
いけない。ここは堪えないと。

「今夜はいつもより遅いのですね」

「本日の通夜は、いつもより少し時間がかかってしまいまして」

「そうですか。
………そろそろ自室に戻りなさい、月鈴ユーリン
以前も申しましたが、こんなところに足繁く来ていてはいけません」

「あなたはハン家の次期当主なのだから」

シュエ、と母が一言発すると、母専属の侍女、雪がすぐさま出てきた。

「お戻りくださいませ、月鈴ユーリンさま」

雪はにべもなく部屋の扉を閉ざす。
それはまるで、私と母の距離を示しているかのようだった。

***

私たちが暮らす光華コウカ国には、皇帝陛下に次ぐ権力を持つ三つの貴族が存在する。
そのうちの一つがハン家———私たちの一族だ。

潘家は代々、神職として皇帝陛下に仕え、皇族や貴族の冠婚葬祭における祝詞しゅくし祭詞さいし奏上そうじょうや、豊穣祈願などの国にとって重要な祭祀の進行を担ってきた。

そして、潘家の当主は必ず女性が継ぐ決まりとなっている。
本来、現当主は母なのだが、母は数ヶ月ほど前から病に臥せてしまっている。

ゆえに、母に代わって私が当主としての執務にあたっているのだ。

翠蘭スイランさまのご加減はいかがでしたか、月鈴ユーリンさま」

自室に戻ると、紅花ホンファが柔らかい笑顔で迎えてくれる。
幼い頃から側で仕えてくれている彼女の顔に、とてつもない安心感を覚えた。

「先週より痩せておられたご様子だったわ。
何ら変わりないと仰ってはいたけれど、恐らく本当は……」

「………今夜はもう時間も遅いですし、お身体をゆっくりお休めになってくださいませ。
湯浴みの準備が整ってございますよ」

「………ええ、そうね。
ありがとう、そうさせていただくわ」

明日も終日予定が詰まっている。
気持ちを切り替えてしっかりと心身を休めるのも大事な務めだ。

私は、この家の次期当主なのだから———。

***

雲一つない蒼天の下、延々と続く葬列。
昨晩通夜が営まれた故人を荼毘に伏すため、火葬場へ向かって歩く列だ。

歩く人々は皆うつむき、さめざめと涙を流している。
この国には、故人が亡くなってから5日間、遺族はずっと泣き続けなければならないという風習が存在するのだ。

やがて葬列はぞろぞろと火葬場へ入っていき、炉がある建物の前で止まった。
最後の儀式を執り行うためだ。

私は、列の最後尾から前方へ向かって歩くと、棺の前で立ち止まる。
私が立ち止まったのを見計らって、遺族や参列者も棺を取り囲むように並んだ。

大きく息を吸って、ふうっと吐いた。
何度やっても、どうしても緊張してしまう。

それでも、粛々と執り行わなければ。
潘家の次期当主として、故人の冥福を神に祈るために。

再び小さく息を吸い、祭詞を唱え始める。
次第に、周りの人々が啜り泣く声が耳に入り始めた。

つられて、涙が頬をつうっと伝った。
両手をぎゅっと組み、心の底から強く祈る。

どうかこの方が、無事にあちらの世界にたどり着くことができますように。

あちらの世界でも、幸せに過ごすことができますように———。

祭詞を唱え終わり一礼すると、棺を運ぶ棺夫かんふたちがすかさず現れ、棺を担いで建物に入っていく。

ふと空を仰ぐと、どこまでも青い。
私の拙い祈りに神が応えてくださったのだろうか。

また、涙が零れそうになった。

***

初めて中華風の小説を書こうと思ったきっかけは、ある日に見た夢でした。

夢は私の視点ではなく、この小説でいうところの月鈴の視点で展開されていて、夢として見たのは、男の人たちが部屋から棺を運び出す光景と、月鈴が母親の翠蘭に会いに行く場面だけ。

断片的ではありましたが、夢にしてはあまりにも物語のような内容だったので、せっかくだからと小説にしてみました。

いろいろと初めての試みで拙いかと思いますが、最後までお読みいただき、ありがとうございました🙇🏻‍♂️

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