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人は言葉で傷つく、言葉の使い方は慎重に

高校生のころは、うざいとか、きもいとか、普通に使っていました。
どんな言葉で人が傷つくのかを考え、使わないという選択ができるようになったのは最近かもしれません。

言葉だけで傷つくわけではないですが、言葉だけでも十分傷つくのが人間です。
そのことを意識するようになってから、強い言葉は慎重に使うようになりました。

採れたて野菜を泥のまま、差し出すようなもん

思ったことをそのまま放出するという行為は、
採れたて野菜を泥のまま差し出すのと同じです。

せっかく美味しい採れたて野菜でも、泥付きのままでは、その美味しさに気づけません。
受け取り手が、泥を洗う方法を知っていればいいですが、知らなければ、泥のまま食べてしまうかもしれません。

どうせなら、洗ってある状態で、すぐに美味しさに気づいてもらえる状態で渡したい。

言葉を選ぶって、こんな感じかなって思ってます。

言葉を扱う仕事をする人は、野菜を茹でてバーニャカウダにしてみたり、ポトフにしてみたり、さらなる価値を付加してますよね。とっても美味しそう。言葉のシェフ

言葉は自分以外の誰かが受け取るもの

もうひとつ、信頼している相手にこそ、ひどい言葉をかけてしまうことってありますよね。

さきほどの泥の話と同じです。
「あなたなら、泥の取り方知ってるでしょ」とい思って、雑なコミュニケーションをしてしまいがち。ある種の信頼ともいえるかもしれません。

ですが、
どんなに親しくても、相手は自分じゃない
ということを忘れてはいけないなと思っています。

雑なコミュニケーションは、毎回泥洗いを相手に強要しているのです。
毎回毎回、泥を洗わされるコミュニケーションって、「また話したいな」がなくなってしまいますよね。

私は、また話したい大好きな信頼する仲間こそ、綺麗ピカピカとまではいかずとも、美味しく食べられる程度の「また食べたい」野菜を渡したいのです。

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