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会話は声をかける人とかけられる人がいて成り立つ

受け身のコミュニケーション(人見知り)をやめたいと思った話。

私は、自分のことを人見知りだと思っていました。ほんとにここ最近、1年前くらいまで。しかし、今ははっきりと「人見知りを克服した」と言えます。

きっかけは、コミュニーケーションのカラクリに気づいたから(カラクリで表現が合っているか不安…)。

初対面やそれに近しいコミュニケーションは、いつも人見知りではない人がきっかけで始まります。
人見知りの人は、誰かに話しかけられるのを待っています。(待っていない、話したくないんだよ。という人もいると思います。すみません)

逆にいうと、人見知りではない人が声をかけないと、初めましてのコミュニケーションはうまれないということです。
そして、人見知りではない人だけが、コミュニケーションをとるか、とらないかを選ぶことができます。
(この話では「実は人見知りでも、頑張ってる」という人は人見知りではないというくくりです。)

このとき、「人見知りって人との関係を選べないんだ、もったいないな」と思ったのです。
私は、誰と仲良くするか、誰と話をするかを自分で選べる人になりたいと思い、受け身のコミュニケーションを卒業しました。
(敢えての卒業チョイスです)

当時、ここまでしっかり考えていたかどうかはわかりません。あとから思い出して整理したら、こんな感じにまとまりました。
とりあえず、人見知りにメリットを感じなくなったからやめたというお話でした。

人見知りってやめようと思ってやめられるものなのかという話は、改めて書きます。たぶん…

2020.09.05

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