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本日は、お日柄もよく

人との出会いや関わりを通して自分を形成していく主人公のお話

“天職“

それは自身の才能を最大限に活かせる職業のこと
これを味方に付ければ、
他人から心地よい称賛を受け、自己肯定感も高まるに違いない

そもそも、どのようにして人々は天職に巡り合うのだろう
第三者によって才能を見出されたり、
自身の体験を通じて熱烈な思いで志して成功したり、、、?
いずれにせよ、
それまでの人生で出会った人の数、その人との間で起こった事柄に心が揺さぶられた経験が多いほど、天職に巡り会えるチャンスは多いのではないかと考える
一つ一つの出来事が小さいとしても、いずれそれらがどこかで繋がり何かを形態していき、いずれそれがその人の核の一部となると私は思う
“ちりつも”である

とはいえ、そんなきっかけが誰にでもどこにでも転がってるかといえば、そうではないしかし単純に考えれば、関わる人数を増やせばその分チャンスも増えるだろう
結局のところ出会いの数なんて“自分次第”だということだ
大学時代は、この単純な理論で過ごす毎日だった
サークルは身近なものの中で1番規模が大きのを選び、バイトは何個も掛け持ちし、
飲み会にはどんどん参加した
シンプルにいろんな人と関わり、いろんな考え方を知ることが好きだったのもあるが
この結果、社会人になってからの私はあることに気づいた

“自分自身を知る”

それらの経験は“自分自身を知る”ことに繋がったことに、社会人になってから気付いた
私はてっきり、
自分とは縁のない新しい世界の何かを知ることに繋がると思い込んでいた
これはきっと、私が1番知らなかったことは、私自身であるということなのだろう


私が今思う “人間関係に求めること“とは

それに気付いた今、これまでのようにただ多くの人との関係を持つことより
“自分自身を知るきっかけやヒントを与えてくれる人に出会いたい・大切にしたい“

そう思うようになった

文中にこんな言葉が出てくる

‘’ほんとうに弱っている人には、
誰かがそばにいて抱きしめるだけで、幾千の言葉の代わりになる
ほんとうに歩き出そうとしている人には、
誰かにかけてもらった言葉が何よりも励みになる‘’


こんなことを誰かにしたことがあるかと自問自答し、
思い当たる出来事があることに安堵した
周りの人を大切にすることができていたのだなあ…と
前者は高校時代に恋人を亡くした友人に、
後者はコロナ禍に海外に渡り新しい一歩を踏み出すことに躊躇していた友人に.

反対に自分に不幸が起こった時に、相談できる相手はいるかも考えた
答えは“No”

なぜ私は人に相談できないんだろう、迷惑だと思い自制してしまうんだろう
これは頼れる相手に出会ってないから?それとも自分自身のメンタルの問題?
うまく相談できる伝え方を身につけて、相談できる相手を見つけていくのが
今のところ、最善策だろうか

将来的に母のように抱え込み苦しむ人間にはなりたくないと願う

話は変わるが人の細胞には核が存在する。しかし核細胞と呼ばれるには、周りを取り巻くミトコンドリアやリボースなど核とは違った能力を持つそれらとタッグを組んでいる場合だけ。核と核細胞は同じようで全く異なる。
この例のように、性質は違えど組むことで素晴らしいものが生まれる
そんな人との出会いがあればなと思う


“パートナーとの理想の関係性”

将来的に、足りないところを補い合えるようなパートナーを見つけたい
これは、パートナーと補い合う関係性を“築く“の方が正しいのだろうか…
ここに関してはまだまだ考えが足りていないから、今後追記していくこととしよう
少なくとも今は自分が好きなことを、自信を持って好きと言えるようになりたい
と言う目標は明確だから、これをクリアすることから始めようと思う

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