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『みる誕生』鴻池朋子展/『進撃の巨人』/海

有休をとって、静岡県立美術館でやっている鴻池朋子さんの展覧会『みる誕生』に行ってきた。鴻池さんの展覧会には何度か足を運んでいて、ファンといってもいいかもしれない。だけど作品について納得のいく何かを言える気がしないので、今回はその核心を避けて(?)書いてみようと思う。
だから展覧会についての文章というより日記だ。

11月、日の出が遅くなっているのもあってまだ出たてほやほやオレンジ色の朝日に照らされながら見ず知らずの人たちと電車にゆられて出発した。新幹線代をケチって片道3時間だ。しばらく行くといつの間にか目の前に海がひらけていて、こころの中で「わー」と声が出る。同じくいつの間にかどっかりと富士山があらわれていて、また「わー」となる。何度みてもあの「わー」という感じ。あれは一体どういう感情なんだろう。

展覧会は鴻池さんの新作が並ぶというものではなく、近年の作品、過去作、物語るテーブルランナーという一般の人々との共同制作、そしてハンセン病療養施設 菊池恵楓園の絵画クラブ 金陽会の絵画、が並び、最後は美術館の裏にある里山を散策しながらいくつかの作品を見ることができる、というものだ。手で触れることができる作品、順路に沿って張り巡らされた手で伝っていくための紐、木下知威さんとの筆談の記録、など一般的な鑑賞とは別の筋肉を使って「みる」展示も多くあった(そうだあと動物のフンも展示されていた!)。私は野外で鴻池さんの作品を見たことがなかったのでそれを楽しみにしていた。

展示をふり返って、もしかすると今回いちばん気になったのは金陽会の絵画だったかもしれない、と思う。ハンセン病のため不当に強制隔離されていた人たちの絵だ。どんな思いで生活を人生を送ったんだろう。そんな気持ち抜きにはみることができない。療養所の風景、人物、帰れない故郷、生活の中の小さな品々、沢山作品があったけれど、全体として西日に照らされているような印象を受けた。作品は美術館所蔵のいくつかの絵画と混ざるように展示されており、さらに鴻池さんの多種多様な作品、各地のテーブルランナー、に囲まれていた。どんな因果か全然関係のなさそうなものがザワザワと美術館の中に押しかけてきていた。そうそう、鴻池さんの展示というのは作者の内面世界を見せつける、というものではない。

話はかわるけれど『進撃の巨人』はご存じだろうか?初回でわかる情報なのでネタバレにならないと思うから書くと、人食い巨人から身を守るために高い壁を築き人類がその中に閉じ籠っている、という設定の人気漫画だ。私は展覧会に行く数日前に『進撃の巨人』を最終回まで読んだところで(面白かった)、その世界観からなかなか抜け出せずにいた。そんな状況の偶然の産物でしかない感想だけれど、療養所と進撃の巨人の壁の中の世界というのが重なってみえた。『進撃の巨人』の主人公たちは自由を求めて壁の外に戦いに出かける。まだ見ぬ海、炎の水、氷の大地を求めて。
隔離された療養所の中で絵を描くことは、自由と何か関係があっただろうか?

金陽会の展示の中に故郷の港町を空から見下ろすように描かれた絵があった。作者は療養所の中で帰れない故郷を思い描いたのか、それとも隔離されているから記憶の中にある風景のバリエーションが少ないのかもしれない。ハッとした。ちょうど今私も地元の港町を漫画で描いているところだからだ。その1ページ目は街を見下ろした地図のような絵で始まる。「私も同じことをしている」そう思った。つまり、私も壁の中なのかしら?という気がしてくる。いつも今とは違う状況を夢見ながら現状から出て行けずにいるのだ。その場合、壁は誰が作った壁なのか?
私の創作は自由と何か関係があるだろうか?

さて、鴻池さんの展示のメインディッシュは美術館の壁をこえて里山に開かれている。
気取らずにゲームみたいに私たちを連れだしてくれる。
空の下の何だかわからないオブジェはのびのびとしている。
気がつかないような竹藪の中にアニメみたいなかわいいオオカミが潜んでいる。少し開けたところに大きな革製の生き物っぽい何かが吊るされている。
みつけた瞬間「わー」となる。

皮トンビ

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