【PTA役員日記】歯車が動き出した
無駄に先生を疲弊させる広報紙
後期の広報紙も完成間近。
後期はページ担当制なので、それぞれの担当テーマに沿って、個人でページを作る。
私はPTA活動報告ページなので、取材を反映させて、各部何をしているか、どれくらいの負担感だったか分かるものにした。
学校行事ページ担当で、こだわりがある人は、自分や別の広報部員が撮った写真に満足せず、納得できる写真が出てくるまで、何度も先生に写真を依頼したりしている。
この「先生に写真をお願い」作業には、ずっと疑問を感じる。
無駄に先生の負担が大きい。
先生は、PTAから要望にあった写真を探し、それを自分のPCに取り込み、メールで送る。
数分じゃできない作業。
教頭先生が快く走ってくれてるけど、こんなことに時間を使わせるの申し訳ないな…といつも思う。
だったら最初から先生が良い写真を選んで発信した方が早いじゃないか、と思いつつ、担当の人に面と向かってそんなこと言えるわけもなく、黙って見ている。
先生にはやんわりと、記事の前例踏襲も終わりにしては…とお伝えしたんだけど、どうかなぁ…。
ボランティア制、いけるんじゃないか
「強制して役員をやらせるのはイジメだ」
ということを繰り返し訴えた1年だった。
それは、なんとなく教頭や本部役員にも納得してもらえた感触がある。
強制をやめる、となると、ボランティア制にするか、となる。
ただ、ボランティア制にしたとて、誰も人が集まらないのでは困る。
実際、どれくらい集まるんだろう?
そのお試しで、教頭先生が3日間のあいさつ運動の募集を全体にかけてくれた。
「きっとそんなに来ないでしょ」
と先生は予想していたみたいだけど、実際行ってみると連日30人くらいの保護者が来ていた。
平日の早朝にこれだけの保護者が集まるってすごい。
初日が終わった時点で、先生がアプリであいさつ運動の様子の写真を送ってくれたこと。
「事前エントリーしてなくても、当日参加OK!」とアナウンスしてくれたことで、来やすくやってのも大きかったと思う。
たかがあいさつ運動だ。
こんなものを年に3日やったくらいで、あいさつがさかんな地域になるとは思えない。
だけど、そんなことにも大勢の保護者が集まったのだ。
ボランティア制、いけるでしょ!と鼻の穴を広げながら帰ってきた。
歯車が動き出した
PTAがどんな仕事をしているか、何も知らされずに役員をやらされる、という我が学校。
せめて、どんなことをしているかアナウンスを!と常々思っていたところに、「私作るよ!」という同志Aさんを発見。
しかも、色んな役員を楽しんで引き受けてくれる方な上に、Webデザインを手掛けるプロ。
PTAについて議論しても、核心をついている。
私が各PTA行事に出向いて何をやっているか取材し、
それをその人に伝えて、実際パンフを作ってもらっている。
ずっとLINE上で話していただけだったので、直接会ってお話したいなーとカフェに誘った。
やっぱり、同志と話すと気持ちいい。
「話が通じる!」って感じがすごい。
色んなところで、さりげなくPTAについて話してみることが多くなったけど、「うーん…そういう問題じゃないんだよな…」っていうことが多いのだ。
結局、目的が「今ある行事や慣習を継続する」ということになりがちで、「なぜそれが必要なのか」という議論にたどり着かない。
でも、同志Aさんは、そもそも「子どものため」という目的からそれていかない。
そして、理想ばかり言うのではなく、「ここは変えたいけど、いきなり変えることはできないから、まずは…」と現実的な道筋も考えている。
印象的だったのは
「1つ周りだせば、きっと色々動いていく」
という言葉。
私たちのこの動きが、歯車のように全体を動かすきっかけになってほしい。
守られるべき権利を守りたいと声を上げることに、勇気が必要な状況であってはならない。
『セクシー田中さん』の原作者、芦原妃名子さんがお亡くなりになった。
小学館の編集者さんたちが出した声明の中にあった言葉が忘れられない。
「守られるべき権利を守りたいと声を上げることに、勇気が必要な状況であってはならない。」
PTAもそうだよな、と思う。本人の意志を無視して役員をさせる、という慣習はやっぱり間違ってる。
PTAが悪いわけじゃない。保護者も悪いわけじゃない。
お互いの意思疎通がうまくいってないんだと思う。
どんな活動だったか、写真1枚あると違う。
けっこう楽しかったことが、一言あると違う。
子どもたちが喜んでくれたことが、1つでも知れると違う。
「なんでやってくれないの!?」じゃなくて、
「こんなに楽しいから、一緒にやらない?」の世界になるといいな。
誰も悪くないのに、誰かが傷ついたり、誰かが悪者になったりする構図が変わってほしい。