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パチンコ店駐車場で車内置去りをされていた私が大人になった今、何を思うか

パチンコ屋に私を連れていく母
母はよくパチンコに行っていた。1日として家から出ない日はなく、パチンコにもよく出かけていた。たまに帰ってこない事もあった。

覚えている限りの記憶では幼稚園の年長から小学校低学年くらいの私は、出掛ける母親とどうしても離れたくなくて「一緒に連れてって欲しい」と懇願し、よく一緒に車でパチンコに行った。

母を喜ばせたくてパチンコ屋の床の球を拾う
当時のパチンコ屋は今より厳しくなく、子供も余裕で入れた。咥えタバコで夢中にパチンコをしている母親を喜ばせたくて隣で床に落ちたパチンコ玉を拾い、母親の台に入れていた。たまに隣の台で自分も拾った玉で遊んだ。私が大当たりした時の母の焦った顔と母の席から手を伸ばして私の席のパチンコ台のハンドルを握っている母の姿は今でも覚えている。

駐車場車内で
パチンコ屋が混み始めると店員に嫌な顔をされ、時に注意され、私は居場所がなくなるので車の鍵を貰い車で待っていた。待つといってもやることがなく、よく寝ていた。

夏は暑かった。「パチンコ屋の駐車場車内で子供置き去り」のニュースを年1-2回くらい見かけるが、「自分はよく死ななかったなあ」と今思う。まあ、自分で開け閉めできて自ら車内に入り待っていたのでリスクは少な目なのと、今ほど夏は気温が高くなかったのかもしれない、大丈夫だった。ちなみにインキーやバッテリーが上がる事を度々しては母を困らせていた。

その時私が思っていた事はあまり覚えていないが、とにかく早く戻ってきてほしかった。おもちゃがあるわけでもなく、本があるわけでもない。ひたすら待つのである。ヒマオブヒマ。車の窓からパチンコ屋から出てくる母親を見つけようとずっと張り込んでいたり、寝たり、時にはパチンコをしている母のところに行き、ジュース代をもらい店内の自販機で買って車に戻って飲みながら待っていた。2-3時間の時もあれば4-5時間、昼ごはんを挟んだ7-8時間の時もあった。

母親が戻ってくると嬉しさMAX、当然母は勝ち負けで機嫌が悪かったり良かったりした。そしてパチンコ球端数で貰える小さなアーモンドチョコレートを貰い、その後どこかに行くでもなく家に帰るという感じだった。

母を恨んでいるか?
では今、車に幼い私を置いてパチンコに勤しんでいた母に対し何を思うのかというと当時も当然恨んでいなかったが不思議と「恨み」がない。

母は家に私を置いて行こうものなら出来ていたのに、泣いて懇願する娘を受け入れパチンコ店に連れて行ったのだ。彼女は何を思って私を連れて行ったのだろう。そこに愛情はあったんじゃないのかと思ってしまう。

自分ではない車置去りの事件を見るとその親に対してものすごく腹が立つのだが、自分の事となると不思議と腹が立たない。多分「その時は愛されていた」と思いたいのだと思う。母親が死ぬまでに彼女に対して赦せる心が欲しいと願っているのもある。

その後
私は結局小学校高学年くらいまで土日、夏休みなどの長期休みは母のパチンコ通いの時はついて行った。幸い暑さで死ぬこともなかった。

私が就職して家を出て数年後、母はパチンコ店で脳出血で倒れ体の片方がマヒになり、今でもリハビリをしている。それでも母のパチンコは今でも続いている。恐らく依存症なのだろう。

数年前そんな体の母に対して(実際には切れないが)縁を切った。
母に対して(私の住所がばれないようにする)住民票閲覧制限をかける数日前、久々に会った母の口から出た言葉もパチンコとお金に関する事ばかりだった。

いつか母親を赦せる時がくればいいなと思う。パチンコだけで縁を切ったわけではなく、彼女が死ぬ前までに全部ひっくるめて彼女を赦せれたら楽になるのにな、と今でも思い続けている。

因みに私が成人になって母にお金を貸した時もパチンコの話をしていたなぁ


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