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貸したお金を無かったことにしてトロントへ遊びに来た母の話

20代後半、就職してからずっと留学のために必死で貯めたお金が目標額になり、留学の準備をしていた頃、同じ県内で暮らしている母親から連絡がきた。
「賃貸で暮らしている家を追い出されるので引っ越し費用を貸してほしい」と。
因みに親からお金を貸してほしいと言われ30万円を貸したのはその2年前くらいのことだった。親から貸してほしいと言われる事、そして必死で貯めた留学用のお金を戻ってこないだろうと予想される事に嫌な気持と悲しい気持ちがこみ上げていた。後日姉と私は待ち合わせ場所に来て待っていると、父と母が車でやってきた。

封筒に入れた50万円を渡した後、当時まだ家族への希望があった私は「今からみんなでご飯でも食べに行かない?」と誘ってみた。久しぶりの、いや、はじめての家族団欒を楽しみたかったのだ。しかし母からの返事はこうだった。

「今日、パチンコのイベントの日だからもう行かなくちゃ。」

そう姉と私に言い放った。
車で彼らが去ったあと、私は号泣した。
その時姉が私に言った言葉を今でも心に残っている。

「これからは母親を「親」や「家族」と思うんじゃなく、一人の人間としてみた方が楽になるよ、「母親」としてみるから期待して裏切られて悲しくなる。」

留学をやめてワーキングホリデーに変更

必死で貯めた貯金がマイナス50万円になったため、また、会社も辞めて貯めなおしは難しかったため、現地で働けるワーキングホリデーに計画を変更した。当時は選べる国も少なく、英語圏でアメリカにも近いカナダのトロントを選んだ。
5日間のみホームステイし、語学学校に通い、住む家も見つかった。バイトが見つからない期間は、「50万あればその期間バイトもしなくていいのに。。滞在期間を延ばせれるのに。。」なんて思ったりもした。
そんなある日、姉と母親がトロントにやってくると連絡がきた。

お金が返ってくると期待してウェルカムで迎えた

「50万を借りといて飛行機代諸々を使い海外へ遊びに来るのだから、貸したお金も返ってくるはず」
そう期待した。
二人が到着後は3人で母が好きな当時手芸用品店が多かったQueen street westを歩き回った。ナイアガラの滝、セントローレンスマーケットなどなど観光地も回った。母が言った「パチンコ行ってくる」と言われたあの事は忘れていた。

観光最終日お金をもらった

母と姉の滞在最終日、飛行機は夜出発だったため私のシェアハウスに数時間、2人は滞在となった。その時母から封筒が渡された。
「これで何かおいしいものでも食べなさい」
母はドヤ顔だった。封筒には3万円入っていた。
貸したお金の事は一言も言わず、日本に帰った。

なぜ彼女はトロントに来たのか?母親ならば、旅行できるお金があるのなら娘に少しでも返そうと思わないのか?100歩譲って貸したお金の事に触れてほしかった、、、と思ったが、姉の言った「母と思うな」を噛みしめた。私も貸したお金の事は「なかった事」にして残りのカナダの生活を過ごした。

その後

カナダの生活の終盤、お金が底をつきかけ、カナダ版キャバクラで働いた。この経験も今となっては笑い話なので今度書こうと思う。

帰国後再度留学のため働きながらお金を貯めていると、また母から連絡がきてお金を貸してほしいと言われた。理由は
「父が事故をして損害賠償を払わないと刑務所に行ってしまう」
だった。その時貸したお金も50万、数年経ってわかったことだが、父の事故の話は全て嘘だった。
それにしても、私もそんな母の嘘に気付けよ、、、刑務所って、、、と反省したのであった。



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