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疲れた時の「ひとり飯」のススメ


ゴールデンウィークも最終日です。

大学3年生の筆者は、課題がもりもり。就活準備も、もりもり。
時には徹夜しながら、森林形成に尽力したお休みでありました。
せめてつくった森でかわいい動物と巡り会えたらいいなと思います。

(あつ森をしていたわけではありません。)

なんだか頑張っていたように語っていますが、
筆者はもともとキャパシティが広い方ではありません。

いつだって一生懸命がんばっていたい気持ちはあるけれど、気持ちが追いつかなくなってへこたれる、ということが非常に多くて。

そんな自分を「甘えてしまっていてだめだ」という気持ちで律しようとするのですが、負荷がかかっているところに更に負荷をかけるわけだから、尚更動けなくなるのも当たり前で。

気を付けようと思って、やることを減らしてみるものの、気付けばいっぱいになっていて、疲れてしまって、っていう感じで。「そもそもの、気を付ける部分がまちがっているのか?」と思うと、もはや、八方塞がり。

なんという負のループ!!!

みなさん、元気にしていますか?

ーー

自分が楽になって、力が抜けて、「今ならなんでも頑張れるぜ!」
って時は、きっと自分に何かを強いていない状態だとおもうのです。

がんばれないのは、あまえているわけでもなんでもなく。

ただ単純に、やりたいことができていないのに、
「やりたくないことを頑張ること=当たり前」
にしてしまうから、心が悲鳴を上げているわけです。

潜在意識は語る。「やりたいことを、やらせろー!」

ーー

話がそれるようでまさに本題に入るのですが、
わたしは、一人で食べるごはんが好きです。

目の前に座っている人が、おいしそうにご飯を食べている姿を見るのは、それはそれで大好きで、しあわせを感じる瞬間であります。

ただ、相手が食べているペースに合わせよう!と無意識に思ったり、おしゃべりを楽しんだりしていると、ゆっくりとごはんを味わえないのも事実。(これは、人によるかもしれませんが…!)

一人で食べるごはんの、どんなところが好きなのかといえば、
「おいしい!!!」を、
自分のペースで楽しめるってことだとおもうのです。

このきゅうり、しゃくしゃくしていておいしいなぁ。
玄米、ちゃんと噛んで食べないとね。
角煮のうまみ、噛めば噛むほどしみでる・・・!
箸休めのナムルの安心感、それはまるで実家。
お吸い物あったかいねぇ。つんつんしてなくてやさしいねぇ。
食後のほうじ茶もやさしい。包み込まれてるみたい。

食事を心の底から感じることは、誰かの存在を感じることと似ているのかもしれません。

誰かが自分にしてくれたことを、尊ぶこと。

その「誰か」は時に、自分なのかもしれない。

今ある「しあわせ」の素を、ズームインして、細かく観察すると、

あの時、
叱ってもらえてよかった
がんばれてよかった
ありがとうって言えてよかった
逃げてよかった
笑ってもらえてよかった

きっと、いろんなことの積み重ねが見えてくる。

そして、その営みがぎゅぎゅっと凝縮されたもののひとつは、
「食事」としてリリースされています。(リリース?)

自分に元気がないなあ。無理しているなあ。と思ったら、
いままで「誰か」が、自分にしてきてあげたことを、振り返るために。

「いただきます」から始まる、ひとりの物語。


~疲れた時のひとり飯のススメ~

きっと、にこにこしながらコンビニスイーツを選ぶことでしょう。いや、もっと優雅にできるかもしれません。すてきなカフェで紅茶とケーキ、それも究極のしあわせでありますな……