「パワハラをやめよう」でやんだ試しがない

パワハラ防止研修で「パワハラはやめましょう」という講師がいます。

でも、それでパワハラがやんだら何も苦労はありません。

例えば、「煽り運転はやめましょう」と言われて「そうだ、やめよう!」と決意する人、どのくらい居ますか?(笑)。

ほとんどは、

 ・「自分は煽っているつもりはない」(認知の否定)

 ・「煽り運転ではない」(事実の否定)

 ・「相手が先に煽った」(責任の否定)

と本気で思っている人が多いです。パワハラ行為者もほとんどそうです。

つまり「自分はパワハラなどしていない」「これは躾(あるいは厳しい指導)でありパワハラではない」「部下が反抗的なのでやむを得ず厳しくした」とか言う。

だいたいそういう人って、パワハラを受けながら仕事を覚えてきた人が多いというのが私の仮説。これは児童虐待などに見られる「暴力の世代間連鎖」に近いと思う。

もちろん、虐待やパワハラを受けた人「すべて」がそうなるとは限らないし、自分の勇気や周囲からの支援によってその不毛な連鎖から抜け出していく人も少なからず存在するのだけれど。

パワハラを軽く考える人もいますが、基本的には「関係性における暴力」です。組織内での人間関係で相手をねじ伏せ、言うことをきかせ、あるいは「やっつける」ことを目的として使う言動のすべては、暴力にほかなりません。大げさでもなんでもなく。

若いころ、仕事を覚えていく過程でそういう上司や先輩に「鍛えられ」「成果を出して」きた人は、そのコミュニケーションスタイルがデフォルトで、自分の後輩や部下に対して再生産する。

そして暴力と支配の中で社会人として育つと、そのスタイルがほとんどアイデンティティと一体化してくる。「今自分があるのは、ああやって『鍛えられた』おかげだ」と信じているわけです。意識的にも、無意識にも。

だから、よしんば会社でパワハラ認定されて処分されたとしても、なかなか認知を転換できない。だってそれを認めることは、自分を否定するに等しいことだから。

しかし、少しずつでも自分の言動を認め、修正していくメソッドはいくつか存在します。問題は、企業がそこまで手厚くフォローして更生に手を貸してくれるか、ということです。

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