新庄市城下町旧町名等保存事業 ・その5

33・円満寺(えんまんじ・現在の五日町):江戸時代初め、戸沢氏が新庄に入部した折り、郊外に円満寺を建てて、藩主の祈願所とした。

34・中山町(なかやまちょう・現在の万場町):城下から中山に向かう町だから中山町という。この町の虫除稲荷は、稲や畑の作物を害する虫を退治してくれる稲荷様として有名。

35・吉川町(よしかわちょう・現在の万場町):吉川町は合羽・傘・蓑・笠などの雨具を売る店が並んでいた。西端れの橋のところに大門があり、夜間の通行人を改めた。

36・鉄砲屋口(てっぽうやぐち・現在の万場町):吉川町から神明町に入る入り口。ここに今井という鉄砲鍛冶がいたので鉄砲屋口と呼んだ。

37・吉川町天満宮跡(よしかわちょうてんまんぐうあと・現在の万場町):吉川町天満宮は、町人の参拝する天満宮として城内天満宮を分祀したものである。この天満宮は、また城下町の北の守りの拠点でもあった。

38・神明丁(しんめいちょう・現在の沼田町):神明宮が祀られている町というので神明丁と呼ぶ。神明宮は、二代藩主正誠が城下の鎮守として金山から移した宮である。その前は松本丁と呼ばれていた。

39・一里塚跡(いちりづかあと・現在の十日町):江戸時代は全国の主な街道に、一里(四キロメートル)ごとに塚を築き、松や榎などを植えて、旅人の便をはかった。ここは太田街道の一里塚である。

40・茶屋町(ちゃやちょう・現在の北町):新庄城下町の北の入り口にあたる町で、たくさんの茶屋があり、旅人を相手に餅やそば・酒・菓子などを商っていた。

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