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バッハその後

バッハ小品集のピアノでのおさらいもこの時点で4曲終わった。

雑念が入ると目も当てられない崩れっぷりになるけど、

いつか弾きたい、が、

大体弾ける、になったのは大違いだ。

毎日毎日たどたどしくも鍵盤を押してたからだ。



最近の電子ピアノはすごくて、

でたらめに弾いても大曲が弾けるように聴こえる機能もあるけど、

私はその機能にあまり興味も喜びもなく、

ちまちまとでも

自分の身体に刻むのが向いてるようだった。

ましてやロボットのように何かの装置で身体に「弾かされてる」機能なんて、

私は要らない。


どんなに下手でも、小曲でも、

自分の身体の元々の能力を活かす。


演奏の喜びは、テクニックよりも、

自分の心に描いた音の中にある。


だからこそ、舞台上で恥をかいたり、

褒められたプレイヤーでなくても、

かつて楽器を持ち続けていたし、歌っていた。


「自分の出す音、空間に響く音に集中しろ。

異なる楽器の異なる音たちと調和をとるのに集中しろ。

響きを聞くんだ。」

ピアノを先生に言われるがまま、なぞっていただけの幼児から学童期、

大勢の中で沢山の曲に出会って、みんなでひとつの音を作り上げていた中高の6年間、

ひたすら歌いたいがために

それまで全く興味がなかったゴスペルコーラスに入った2年間。


そしてピアノに戻り、歌に帰ってきた2022年。

上手いとか下手とか、1人だとか、

どうでもいい。


バッハを弾きたい、

自分の選んだ歌を思い切り歌いたい、

それだけに集中している。

これが大人になったってことか。

で、バッハなんだけど、

前にも書いた通り、

有名な1、2曲目は、ペルツォトが作曲してるのが今はわかってて、

大バッハのヨハン・セバスチャン・バッハ作品でなく。

3・9曲目のマーチは、大バッハと呼ばれるいわゆるバッハの、息子、

カール・エマヌエルという小バッハ(トトロみたい)の作品で

私は、まだヨハン・セバスチャンにたどり着いてない状態です。

おかしいな…。笑

で、次こそと思い、直感で選んだのは

「目覚めよと呼ぶ声あり」

です。これは本当に大バッハ。ヨハンセバスチャン。

でも原曲のピアノピースは難易度が高いので、

めちゃやさしいハ長調に直してあるし、

和音も殆どない楽譜を買い、

ちまちまと弾いています。

でも不思議。

弾いてるだけで気持ち良い。

すごいぞ大トトロ、じゃなくて大バッハ。

こういうのが、弾きたかったんだね、って身体に答えを貰った感じ。

これはオケ版で、私のトランペットの神様であるモーリス・アンドレの演奏が入ってる動画です。

よろしかったら是非、「目覚めよと呼ぶ声があり」聴いてください。












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