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センダンの木とマレーの虎

暁に霞む村、あかつかむらと呼ばれる場所がかつて高知県にありました。

今は香北町といいます。

そこには私が生まれるもうずっとずっと昔に廃校になった木造の小学校の建物があり、

今は地域の公民館になっています。


先頃、縁あってその場所に行くことがあり、

そこがかつて暁霞村と呼ばれていたこともしらずに、

ウロウロしていましたが、

小学校の頃は校庭であったろう広場に

ちょうど子どもが触れて登りやすいような枝振りの木がたっていました。

樹皮や葉をパッと見ただけでは、見知らぬ木だったので、

実が落ちていないか探したら、

ありました。

やっぱり知らない実でした。

知らない木を見ると、名前を知りたくなる性分なので、

帰宅してから調べました。

センダンの木でした。

高知県では古くから親しまれている木だそうです。


高知市の木として認知されており、

高知城内の板垣退助像の背景に、
センダンの大きい老木が寄り添っています。

5月には可愛らしい花も咲くそうです。


ヨーロッパやインドでは邪気を払う、といわれ霊木とされていますが、

日本では邪気を払うが為に、
古くから刑死した人の首を標すものとして木材を利用されたために、

忌まれる傾向もあるとのことでしたが、

高知県ではそのようなことはないようです。

逆に道々に植え、遍路や旅人の拠り所として、親しまれていたそうです。

勿論、人に利用された木に罪はなく、

また、高知の気風として植物としてのセンダンの木を愛しているらしい、ということが

心和みました。


さて、そのセンダンの木のたつ広場からすこし歩いたところに、

地域の戦没者慰霊塔が静かにたっていました。

私の観察したところによると、

かつての村の単位で「忠霊塔」という太平洋戦争終了前の形式の慰霊塔が

高知には建っているようです。

というのも、

関東では忠霊塔を意識して暮らしたことがなかったので、
高知県以外もそうなのか、わかりません。

その忠霊塔の文字を揮毫したのは、

太平洋戦争中に、
「マレーの虎」と呼ばれた山下奉文陸軍大将だそうです。

具体的にどんな方なのかは知りませんでしたが、
軍人さんとして有名な方なのでお名前は知っていました。

ここと、
なんの縁があるのだろう、と、インターネットで調べたら、
どうやら、
その旧暁霞村のご出身で、
暁霞尋常小学校卒とあるので、

まさに私がセンダンの木をあおぎみたあの場所で、
子ども時代を送ったらしいです。

山下氏は陸軍の司令官として、フィリピンで敗戦後
戦犯として連合国軍に裁かれ
刑死されました。

刑の執行前に語った遺言をWikipediaから引用します。

長い文ですが、山下氏の人となりがわかるような気がしますので、

是非ご一読ください。

「新日本建設には、私達のような過去の遺物に過ぎない職業軍人或は阿諛追随せる無節操なる政治家、侵略戦争に合理的基礎を与えんとした御用学者等を断じて参加させてはなりません。」と言明し、日本再建の方向性について、「丁独戦争によって豊沃なるスレスリッヒ、ホルスタイン両州を奪はれたデンマークが再び武を用いる事を断念し不毛の国土を世界に冠たる欧州随一の文化国家に作り上げたように建設されるであろう事を信じて疑いません。」
「自由なる社会に於きましては、自らの意志により社会人として、否、教養ある世界人としての高貴なる人間の義務を遂行する道徳的判断力を養成して頂きたいのであります。此の倫理性の欠除という事が信を世界に失ひ醜を萬世に残すに至った戦犯容疑者を多数出だすに至った根本的原因であると思うのであります。此の人類共通の道義的判断力を養成し、自己の責任に於て義務を履行すると云う国民になって頂き度いのであります。諸君は、今他の地に依存することなく自らの道を切り開いて行かなければならない運命を背負はされているのであります。何人と雖も此の責任を回避し自ら一人安易な方法を選ぶ事は許されないのであります。こゝに於いてこそ世界永遠の平和が可能になるのであります。」
「敗戦の将の胸をぞくぞくと打つ悲しい思い出は我に優れた科学的教養と科学兵器が十分にあったならば、たとへ破れたりとはいへ斯くも多数の将兵を殺さずに平和の光輝く祖国へ再建の礎石として送還することが出来たであらうといふ事であります。私がこの期に臨んで申し上げる科学とは人類を破壊に導く為の科学ではなく未利用資源の開発或は生存を豊富にすることが平和的な意味に於て人類をあらゆる不幸と困窮から解放するための手段としての科学であります。」
「従順と貞節、これは日本婦人の最高道徳であり、日本軍人のそれと何等変る所のものではありませんでした。この虚勢された徳を具現して自己を主張しない人を貞女と呼び忠勇なる軍人と讃美してきました。そこには何等行動の自由或は自律性を持ったものではありませんでした。皆さんは旧殻を速かに脱し、より高い教養を身に付け従来の婦徳の一部を内に含んで、然も自ら行動し得る新しい日本婦人となって頂き度いと思うのであります。平和の原動力は婦人の心の中にあります。皆さん、皆さんが新に獲得されました自由を有効適切に発揮して下さい。自由は誰からも犯され奪はれるものではありません。皆さんがそれを捨てようとする時にのみ消滅するのであります。皆さんは自由なる婦人として、世界の婦人と手を繋いで婦人独自の能力を発揮して下さい。もしそうでないならば与えられたすべての特権は無意味なものと化するに違いありません。」
 「私のいう教育は幼稚園或は小学校入学時をもって始まるのではありません。可愛い赤ちゃんに新しい生命を与える哺乳開始の時を以て始められなければならないのであります。愛児をしっかりと抱きしめ乳房を哺ませた時何者も味う事の出来ない感情は母親のみの味いうる特権であります。愛児の生命の泉としてこの母親はすべての愛情を惜しみなく与えなければなりません。単なる乳房は他の女でも与えられようし又動物でも与えられようし代用品を以ってしても代えられます。然し、母の愛に代わるものは無いのであります。母は子供の生命を保持することを考へるだけでは十分ではないのであります。子供が大人となった時自己の生命を保持しあらゆる環境に耐え忍び、平和を好み、協調を愛し人類に寄与する強い意志を持った人間に育成しなければならないのであります。………これが皆さんの子供を奪った私の最後の言葉であります。」


高知に来てから、
太平洋戦争のことを、よく考えるようになりました。
そのきっかけは、私の曾祖母の弟にあたる方が、高知の部隊の方と共にとはるか南洋のニューギニアで戦い亡くなった、と、
知ったからです。

戦況が悪化するはじまりぐらいのところで、戦死されたのですが、
もし生きて終戦を迎えていても、
山下奉文氏と同じように
戦犯として裁かれる立場だったかもしれません。

勝った側の罪を問うものはなく、
負けた側は裁かれるのみ。


死をもって自分の責任を負うことを、
かつての多くの軍人さんたちは厭わなかったようですが、

責任を負って死んでいった方の思いを、
私を含む戦後世代は受け取り損ねているような気もしています。

受け取り損ね、忘却の上に成り立ったこの国は、

ひとたび事が起これば、戦時のときと変わらないのでは、

と感じているのは私だけでしょうか。

お盆にご先祖さまは、皆さんのおうちに戻られたでしょうか。
今日は終戦記念日でもあり、送り盆ですね。

家にお仏壇のない私も、般若心経でひっそりお見送り(?)しました。

山下奉文氏の魂も、
もしかしたら故郷の小学校の校庭のセンダンの木に

ふわりと立寄られたかもしれません。

緑多く、静かで、美しい場所です。

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