賞賛よりも
中学のとき新設の作文コンクールがあった。
当時私の母校の校長が県の国語教育ではパワーがあったらしく、そのコンクールにも関わっていた。
私はそれ以降もう最初で最後、
2度と書いてないが、
創作物語を一つ仕上げて、
そのコンクールに出した。
というか、授業の一環で
学校の生徒全員が参加させられた記憶がある。
手元に作品もないが、
中学生っぽい、取材とかもなんにもない頭の中だけで湧いてきたストーリーをそのまま書いたものだったと思う。
当時、家族の様子も自分も不安定で思春期の鬱憤みたいなのも、そこに投影されていた作品だったと思う。
結果、一番いい賞をもらって、受賞作品が載る小冊子ももらった。
内申点の圧に怯える中学の雰囲気のなかで、
それは紛れもなく高校受験への有利なカードをもらったことになった。
それでも私は
綺麗に印刷された自分の作品のラストの数行が、自分の言葉でないことに気づいた。
原稿は返却されないため、
どういう言葉にしたかは忘れてしまったが、自分の言葉ではないことは、はっきりわかった。
誰か大人が修正して、そのまま載せたのだろう。
綺麗にしてやって、賞を与えたから文句はあるまい、と。
ただでさえ校長の体面のための出来レースの駒だったのでは、という淡い疑念もあったが、
その無断修正で一気に私の心は冷えた。
未熟なままで賞がほしいなどといってるわけではなく、
人が多少なりとも想いをこめて載せた言葉を
修正するなら、一言でも私に訊いてくれたら良かったのだ。
そしてなんらかの事情で相談を待てなかったのであれば、事後でも報告してほしかった。
子どもだからと侮ることなく。
私はいまの自分のように抗議する術も気概もそのときは持たず、
想いを飲み込んだ。
今なら
もしかしたら沢山の大人のうっかりが、
私に修正の連絡がまわらなかったゆえの誤解だったのかもしれない、とも思う。
大人だって、連絡が行き違う。
先生たちも判断を間違う。
大人になった今ならわかる。
あの時、抗議していれば、
その誤解もとけていたかもしれない。
もしかしたら。
なんにせよ大人への疑いの上にもらった
賞賛の肩書きは
自分には染み込んではこなかった。
かえって自分の実力でないところで持ち上げられたような気持ちになり、後ろめたかった。
記念すべき第一回の一等が主催者側の学校から出るって、そりゃ中学生でもへんに察する。なんか居心地が悪い。
でも、そんなふうに言ってくる同級生も、大人もいなかった。ただ祝福してくれた。私のヘソがまがってたのか。
ただ、小冊子は他の生徒にも配られたので、
感想をくれた友達の言葉は素直に受け取れた。
あのときの物語は、ほんとうにただ一回だけ書き上げた私の空想の作品で、
何かに書かされたようだった。
作家にあこがれても、本当に物語全然書けない人間なのだった。
人生で一つ書き上げた物語があって、
友達がよい感想をくれた。
そういう思い出としてだけ、残しておこう。
最近似たようなことが起こって、揺れた感情の根元には、中学生の私がいたのだった。
そうね、モヤモヤしたよね。
でも、もうここで、思い出を書き直したから、
大丈夫ね。
必要以上に、過去を引っ張ったりしなくて、もういいよ。
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