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登拝という経験①登山編

その御山の秋の例大祭の日は、

いつも同じ位置に下弦の月が出る、と

最初に神主さんが教えてくださいました。

旧暦で祭りの日が決まっているからだそうです。

西の空に、有明の月。

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私の友達が、先祖代々この御山の麓に住み、

山のてっぺんの神社の氏子さんだそうで、

誘われるがまま興味本位で

私が秋のお祭りの為に登拝したのは

高知に来て1年たったくらいのこと。

今回は2回目。2年たち、やっと巡ってきた機会。

平日学校を休ませて、

うちの子ども2人を同伴させてもらいました。

子どもはうちの2人だけでした。

朝の8時に参拝者は集合し、

参道の入り口となる鳥居をくぐって出発です。

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山のてっぺんに神社があれば、

参道はこんな感じ。

急登の坂が続きます。

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途中休憩場所で

土佐湾と

高知県平野部の三大河川の一つ物部川が見えました。

この御山は高知県のどっちかっていうと北東に位置し、

平野部からも、海からも、ものすごい遠いわけではありません。

300年前までは一般人の入山禁止、

修験道の山伏しか入れない信仰の御山です。

明治に入る頃までは女人禁制だったとも。

さかのぼれば奈良時代の役小角(えんのおづぬ)がどうとか、

神職さんが言っておられました。

弘法大師や役小角の伝説は、

私のふるさと埼玉県にもあり、

全く超人とはいえ行人2人のフットワークの軽さといったらない、といつも感じています。

(ちなみに埼玉県には同じくらいヤマトタケル伝説も多いですが、高知県ではヤマトタケルは聞きません)

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白い石が見えますか?

そう、この山も、地質は秩父帯に属し、

埼玉県の秩父地方の山と似て、

石灰岩質が多く見られます。

埼玉県の武甲山に登ったことはないけど、きっとこんな感じなんだろうな〜と


モロモロと崩れてゴロゴロ転がる白い石を踏みながら、

歩いていました。

(標高747メートル付近の参道入り口までの麓からの車道も、小さいながらもめっちゃ落石していて、まあまあ恐怖です。)

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こういう祠を一つずつお掃除、お供え、祝詞奏上、参拝して、頂上を目指します。

子どもたちも見様見真似で参加します。

そのためのグッズも、担いでのぼるのです。

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頂上はこないになってまして、

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この石段もおそらく数百年前単位かと思うんですが、

重機もない時代、どうやって石を運んで積んだのか、

うちの子どもたちもハテナがいっぱいでした。

見るだけじゃ分からない。

自分の体で登ってきたから、

そのすごさがわかるし、疑問も起こる。

学びの種は、そういうもん。

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穴の中にその辺の落ちた枝をあつめて、火を起こします。

山頂は日陰で、寒いです。

(10度以下の場所も。)

本殿拝殿で、40分ほどの神事が行われます。

全くこの土地の縁故でもなく、

お役目もなく、

客人として登った私たちには神事にはひたすら黙って立って参加でしたが、

正座がしんどいから、と言ってる90歳のご婦人が

急登の山を自力で登って

すっと外で立ち尽くしているのを見ると、

とても7つの我が子の甘えを聞くことが出来ず、

励ましつつがんばりました。

子どもたちの忍耐という潜在能力を

引き出してもらえました。

学校でも忍耐力は鍛えられますが、

色んな年齢の人たちの集まりは、

そこにいるだけで学びが多いものです。


子どもたちは忍耐がすめば、

火を囲んで、おもち三昧でした。

直会(なおらい)というお供えもののお下がりで、

宴会です。

おもちを食べたい!と絶叫しながら 

最後尾を歩いていた我が子もご満悦でした。

家や学校では出会えない皆さまに励まされ、

見守られつつ、1000メートルの頂きで、

火で焼いた餅をいただきました。


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(剣山(つるぎさん)が見えるとのことでした。どれだかわかんない私)

下山編につづく。

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