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介良パワーセンターがパワースポットに挟まれてるって話②
続きです。
https://note.com/ohanashikikuaya/n/n3087be9e0b60
パワーセンター裏の介良川親水公園にいたる堤防に登ると、
目の前の住宅地の背後に山がそびえているのがわかります。
岩肌が見えている、不思議な山です。
なんとも言えない風景で、
iPhoneのGoogleマップで山の名前を調べました。
鉢伏山(はちぶせやま)と言うそうです。
ちょっと引いてみた鉢伏山。標高213.4メートル。
なんだかいい景色だなあ、と眺めながら、
子どもと川沿いを散策して歩きました。
ちなみにパワーセンターの北側は
やはり、そんなに高くない山があるのです。
この介良パワーセンターの北側の山は、
高天原山(たかまのはらやま)といいます。
標高107m。ようくみると、3つのピークがあります。
この山には古墳や遺跡があり、
それを代々守られている神職家の管理する場所で、
許可なくは入れないそうです。
(パワーセンター側から見ると、
新しい看板のたった霊園墓地も見えるので、
どこまでが許可がいる場所か、わからないのですが。)
パワーセンター前の道路沿いに高天ヶ原古墳群という青い標識が出てくるので、
その存在は知っていました。
高天ヶ原って、日本の神話に出てくる地名で、
『古事記』においては、その冒頭に「天地(あめつち)のはじめ」に神々の生まれ出る場所としてその名が登場する。次々に神々が生まれ、国産みの二柱の神が矛を下ろして島を作るくだりがあるから、海の上の雲の中に存在したことが想定されていたと推測される。天照大御神が生まれたときに、高天原を治めるよう命じられた。須佐之男命にまつわる部分では、高天原には多くの神々(天津神)が住み、天之安河や天岩戸、水田、機織の場などもあったことが記述されており、人間世界に近い生活があったとの印象がある。 葦原中国が天津神によって平定され、天照大御神の孫の邇邇芸命が天降り(天孫降臨)、以降、天孫の子孫である天皇が葦原中国を治めることになったとしている。
なんとなく宮崎県とか、奈良県とかにあるようなイメージでしたので、
その標識を車の助手席から見つけた時は
「はんっ?!高知に高天ヶ原?!」て思いましたが、
その「はん?!」に共感するメンバーは
豊臣秀吉の存在も怪しい夫、今を生きる小学生、現世のこともよくわかってない幼児など家族には誰もおらず、
まだ高知に来たてで、井戸端会議はおろか
そんなマニアックな話できる知人もおらず、
モヤモヤしたものです。
対岸の鉢伏山は、初めて興味を持ちました。
やっぱりあれも、古くからいわれのある山なんだろうか。と。
人里近い山というのは、
古くは信仰の対象だったりします。
ネット情報では麓から山頂にいたるまで、
岩屋薬師堂というお寺や大山祇神社など神社が、点在しているようです。
一人でいれば、
好奇心の赴くままに歩いていってしまうのですが、(もう40ですが、20代とかの女子だとあぶないですよね。繁華街には行きませんでしたが、山に分け入ってしまう無防備で危ない自覚ない女子でした。反省)
幼児連れではそうも行きません。
眺めながら、遊んでいました。
カモがいっぱいいました。
雲までカモ?
高天原山からは旧石器時代の出土品もあるそうで、
このあたりは水辺も近いし、
昔も人が住みやすい場所だったんだろうな。
この文章でいうパワースポットというのは、
想いが降り積もる場所、という意味です。
高天原山と鉢伏山、あとその北裾に
介良富士という標高170mの小さな三角形の富士信仰の山もあります。
介良三山と呼ばれているそうです。
(私は介良富士は見つけられませんでした)
3つの
"古来から人が祈る山"というパワースポットに挟まれた場所に、
介良パワーセンターが建てられ、介良川親水公園が整備されてるわけです。
風通し良く、水音がして、蝶が舞い、蜂が蜜吸い、
花がさき、
魚が跳ね、
亀が泳ぎ、鴨が群なし、サギのたたずむ、
現代っぽくない景色が見られます。
空気が、柔らかい。
(親水公園の西端)
最後にもう少し鉢伏山についての話を次回③に書きたいと思います。
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