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日焼けとカトリック墓地

自家用車がまだなかった小学生のとき、

夏休みには、電車を乗り継いで母と姉妹で

東京都下の小金井という町にある墓地に墓参りにいきました。

私たちのご先祖さまの墓地ではありません。

お墓に眠る人がいったい

私たちとどういう関係だったかは、

子どもの頃はわかりませんでした。


埼玉県東部から、東京多摩地区の小金井は

子ども心にもとても遠くて、

母は暑い盛りによく、子連れで行ったと思います。

中央線武蔵小金井駅からバスで、

15分ほど揺られると

墓地の近くに着きます。

墓地は、私の生まれた町には無い、景観でした。

カトリック墓地。


十字架がいっぱい建つ墓地。

真昼間なのに、

もうそれだけで、

私にはゴシックホラーを連想させ、

何やら怖い気がしました。

大きいマリア像とか、イエス像とかが建つお墓もあります。

私の通った近所の幼稚園はプロテスタント系で、聖書の場面の絵はあったものの、

立体のマリア像とかキリスト像のない環境でしたので、

慣れておらず、

お墓に等身大の立体彫刻は、

子どもには迫力満点です。

「アレが動いたらどうしよう」

「墓石が動いたらどうしよう」

なるべくそっちを見ないように、

目的のお墓を目指して歩きました。


カトリックなんだからお盆とかないし、線香たけないし、

お墓で母を始め私らカトリック信者でもない人間が何をするかというと、

墓掃除と草むしりですが、

子どもでしたので、何かした覚えがあんまりありません。

お墓に眠っていたのは修道女(シスター)で、

母の血の繋がった叔母さんでした。

私が生まれる2年前に昇天されたので、

お会いしたことはないのですが、

写真が壁に飾ってあって、

白黒写真の知らないシスター、

子ども心に怖かったです。

目を合わせないようにしてました。

祖父の遺影も含めて白黒写真は全部こわい子どもでした。

でも、大人たちの話を聞くと

シスターはカトリック信者でないはずの母の一族から特に尊敬を集めていて、

両親の結婚式にも出席したことで

父の親族にも強い印象を与えていました。

怖い人ではなく、

強く自分の信念を貫いた人だったようです。



そのシスターのお墓は

同じ修道会の方との合同墓で、

簡素な墓石にお名前が2段で刻んだありました。

それも子ども心に不思議でした。

家族じゃない人とお墓に入るんだ、と思いました。

シスターたちの概念では、姉妹、家族ですけどね。

そのお一方のご家族もお参りされているのか、

多摩地区にあった修道会由来の方がお参りされてるのか、

私たちが年に一度しかこない区画が草ボーボーに荒れているということは

いつもありませんでした。

母もお墓で写真を撮る気にはならなかったのか、

墓参りが終わった後、

ロイヤルホストに寄って夕方帰るのが定番で、

バス停の近くの公園で

薄暗い中ブランコで遊ぶ私たち姉妹の写真だけ、

残っています。


夏休みも終盤の小学生の私は 

市民プールのおかげか

海にも行ってないのに、 

ギャル並みに真っ黒になり、

白眼がやたらと目立っていました。

(ちょっとコワイ)


昨日、海に行ったあと、

こんがり焼けたうちの子たちの日焼け顔を見て、

「私にもそんな時代があった」と

墓参りの自分の顔を思い出しました。







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