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九戸という地名を読めますか

岩手、青森出身のルーツを持つ方なら

簡単に読めるだろう。

「くのへ」である。

八戸市、八戸港は有名で、わりとみんな知っている。


戦国武将が好きな人なら、

九戸政実(くのへまさざね)という人も、知っているかもしれない。


戦国時代末期、

うちの子どもたちの故郷に伝わる

悲劇の八王子城合戦(豊臣による北条氏滅亡)のあった直後に、

続いて徹底的に攻め滅ぼされた

最後の豊臣秀吉に対する反抗勢力である。

八王子城の北条氏と同じくらい壮絶な最期だったらしい。


母の故郷は

その九戸政実一党の伝説が残る

九戸郡である。


実は、一戸(いちのへ)から順に九戸(くのへ)まである。

(という話だが、今は四戸が見当たらない。昔はあったらしい)


九戸は八戸のすぐ南側にある。

八戸は青森県に属しているが、

岩手県北と同じ文化圏である。

その辺は色々複雑らしい。


母も祖母も、

多くの女性が過去より今を大事にするように、

自分のルーツの話を好んで自分から

とりたててしなかったので、

詳細はわからないが、


築250年余りの

栗の木の材を使った古民家が

母の育った家として故郷にあるということは、

その九戸のあたりに

随分長いこと住んでる人たちの

末裔なのだろうと思う。

250年前というと、大体西暦1770年代だろう。

江戸時代後期に入る頃だ。

当時米が育ちにくい地域だが、

江戸時代は風土関わらず

米を育てないといけない社会だったので、

大飢饉と一揆が、頻発する地域だったらしい。

冗談や比喩ではなく収穫0という記録が残る年もあり、

農民の絶望が目に浮かぶ。


様々な悲しい口伝があるのも聞いた。


南部地方は

江戸からも京からも遠い

自然の厳しい場所だが、

元々南部という地名も、

平安時代後期に戦の果てに

今の山梨県あたりから来た

南部氏という一族が由来らしく、

時代時代で、

それなりに人が出たり入ったりしているらしいので、

ご先祖さまを全て辿ればどこに行くかは、

全くわからない。

ご先祖が誰であっても、

良いことした人でも褒められたことしてない人でも、

最近はもう、人類みな兄弟だよね、で、

私の中では落ち着いている。

ご先祖さまが1人かけても私はいない。

皆さん、等しく尊いご先祖さまだ。

おまけにそのご先祖さまだって血を分けた親だけでなく、周りの人に守られて育った。

だから、もう大きい地域のくくりでご先祖さまで良い。

生き延びて生命をつないでくれた皆さま、

感謝感激

雨ARASHIの「ここはふるさと」である。



八戸などの沿岸部よりやや内陸というのもあるかもしれないが、

この九戸郡にある古民家は

現代よりもっと寒い時代に深い雪にも耐え

250年のうちに起きた

三陸付近を震源とする数多の地震を超えて、

東日本大震災以降の地震でも、損壊なしである。


日本の木造住宅といっても、

ひとくくりにできない。


古来の先人の知恵は、

厳しい自然の中で

生き抜くために

達人職人英才たちの頭脳フル回転と、

我慢と忍耐と

沢山の犠牲のもとに

長い年月、積み重ねてきたモノに違いない。


今いる土佐の国高知でも、

急峻な山間部の棚田、

常襲する台風でも飛びにくい重い瓦や、

旱魃(かんばつ)、

翻って水害の影響を軽減するための治水、

利水事業など、

厳しい自然の中で生きていくために、

暮らし方が工夫されてきた歴史が感じられる。


自然の厳しさの中にいるのが普通の場所では、

人は助け合わざるを得ない。

海側は歴史的に太平洋側の津波の脅威にさらされ、

山林面積が県の大部分を占め、

耕地に適する土地が少ないなど、

岩手県と高知県は似ている部分も多い。



母の育った家は

雪の中に宿を求めて戸を叩く人を

いつでも泊められるようにしておくべし、

という家風であったそうだ。

朴訥(ぼくとつ)であるが、親切である。


気候も風土も一見違うが、

基本的に表裏のない母の性格は

なんとなく私の知っている範囲の

高知に

向いていると思う。

(文旦も、梨も、お刺身も大好きだし。)


私たちが高知に来る何年も前から

郵便局のふるさと便で文旦を取り寄せていた。

母は文旦が大好きなのである。

「高知では木から落ちた文旦が近所の水路に流れてくる」

と私が言えば、

「そんなの見たら追いかけていきたくなる」

とナチュラルにいうのである。

母の故郷は、

りんごを1日何個もおやつに食べていた地域だが、

子どものころは西日本でとれるような柑橘は

珍しいものだったのだろう。

母が小学生の頃、鹿児島のペンフレンドから

巨大な柑橘(たしかザボンかバンペイユ)が送られてきた時の

驚いた思い出を

よく語ってくれる。

小さな頃の憧れもあいまって

とにかく柑橘が好きらしい。(勿論りんごも大好きだが)



対して

高知の子に岩手県は遠い場所だが、

岩手の詩人、宮澤賢治が国語教材に

普通に取り上げられる。

(多分それは全国的なことなのだろう。)

岩手県と高知県は空気感が全く違う国だが、

冷たい夏や積雪をほとんど知らない子どもたちが

賢治の感性をどんな風にかんじるのだろうか。

興味深い。

似ているところもあるが、

県民性はやはり大きく違うようにも思う。



私は、食べ物も言葉も、

母方の祖母が同居だったおかげで

幼い頃から南部馴染みであるが、


実は、母の故郷には

大人になってからの2回しか、

行ったことがない。

(岩手県自体には3回)


おまけに冬の厳しい季節は知らない。

もっと沢山訪ねておけば、良かった。

勿論いまからでも、いいのだが、

土地も人も、変わっていくものだ。

母のいた頃とより近いものを、眺めたかった。


DNAには記憶があっても、

もう私は

雪国暮らしには適応できないだろう。

きっと岩手には住めない。

私の身体は冷えに弱いし、

お日様が出ないと元気がなくなるから。


でも愛している。

ずっと。

遠くから静かな豊穣を祈っている。

今日も、子どもたちに

スーパーで買った

南部せんべいピーナツ味を食べさせている。

高知ではごまの南部せんべいは、売っていない。

私は、ごま派だ。

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