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[HSPのはなし]自分の感受性を肯定したい

トラップ一家物語というアニメをご存知だろうか。

30年前くらいにTVで

日曜日のハウス名作劇場で放映されていた作品である。

もしわからない方は、

ミュージカル映画「サウンドオブミュージック」

のアニメ版、と考えていただいて大丈夫である。


サウンドオブミュージックでは出てこなかった

憎まれ役に

マチルダ夫人というアニメのオリジナルキャラクターがいる。

もうどういうポジションだったか忘れたが、

とりあえず私は

ブラウン管の向こうのマチルダ夫人の行状に

マジギレしていた。


大変である。


相当なキレ方をしていたようで

何に対してかは全く覚えていないが、

私の様子に

親がドン引きしていたのだけは覚えている。


多分マチルダ夫人は

無惨さま(今話題の鬼滅の刃に出てくる超冷酷な鬼の親分)ほど

悪人ではないはずである。


どうして私1人だけマチルダ夫人に怒っているのか、

家族のみんなはどうしてマチルダ夫人に対して何も思わないのか、

それが

苦しかった。

私、10歳やそこらの話である。


私の希望通り

家族みんなでハウス名作劇場の

マチルダ夫人にマジギレしていたら、

なんて、

想像するだけでギャグか

超えてモダンホラーなのだが、

そのときは、本気だったのだ。


私の子どもがもしそうだったら、

「これはお話しだしね、怒るのはわかるけどね、

まあまあ、

こんな人世界の悪人に比べたらかわいいものよ」

なんて言う。


しかし、私が子どものときは

なぜ自分がこんなに怒りの感情に引きずられるのか

俯瞰などできるわけもなく、

またウケて噴飯し、

ドラマをみて泣き上戸になるのはよく似ている

親も、

私のこの様子は理解できなかったらしく、

親子それぞれにハテナの個性となっていた。


命を捧げるほどの深い愛があるからといって、全てを理解できるわけではないのだ。

私も、子どもたちのことは理解しきれていない。

自分が親になると更に、

ああ、

あれはわからなかっただろうな、

と納得する。


感受性が豊かなのね、と、

良い意味で

ありがたくも、

おっしゃっていただくことがある。


しかし、

先般のマチルダ夫人の一件だけでなく、

自分だけ感じてしまう感情や感覚で

周りから浮きまくるという望まない経験をしてくると、

自分の感受性など、半分くらいで、

いいのに、と

思う。


そのまま感じてしまうことも、

浮くのを恐れて感じていないフリをするのも、

どちらも

私には

負担なのだ。


前者は、

精神的な孤立感、

後者は物理的な刺激を受けてしまう身体の負担、である。


感じているということは、

自分の意思ではコントロールし難い領域なのだ。


感じていないことを感じようとすることより、

感じていることを感じないようにする方が、

難しいように思うのだが、

いかがだろうか。

みんな実は、人間は

同じくらいの感受性があるのだと思う。

私はなんらかの理由でガードが甘いまま、

成長してしまったのではないか、

と個人的には思っている。

なんでかは、知らない。

とにかく自分の感受性がなんとかという自覚がないのだ。

みんなが違うらしいということを知るのは、なんらかのショックをもらってからなのだ。


私は、

ずいぶんと自分の取り扱いを持て余した。

だがある日、この本に出会ったのである。

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高知に越してきてすぐ、

家から徒歩でいける町の本屋さんで

平積みになっているのを

たまたま見つけた。

うつ病や発達障がいなどの本は何冊か読んできたが、

この本に書いてあることが、

今までで一番自分にしっくりきた。

それは

HSPという概念である。

H(ハイパー)

S(センシビリティ)

P(パーソン)

人一倍、敏感な、人

という意味で、

疾患や障がいではなく、

先天的な気質を表す言葉である。

HSPについては、

また改めて詳しく書いてみたいと思うが、

この気質は5人に1人の確率でいるとのことらしい。

結構いるのだ。


私は長いこと自分の感受性を肯定できなくて、

みんなと同じようにしようと

自分の本来のキャパを超えた行動をとることが

多く、

よくその度に倒れていた。

そして弱い自分に

自己嫌悪に陥っていた。


この記事を読んでいただいてる方の中で、

周りによく体調不良を訴えている人がいたら、

その方はもしかしたら、

私が持っている気質と同じものを持っているかもしれない。

歯を食いしばって、

どうして私は、と思いながら、

生活してらっしゃるのかもしれない。


私がこの概念と出会ってから3年、

インターネットを見れば大分認知があがってきたようにも思う。


自分の取り扱いというのは、

何十年経ってもわからなかったりする。

本を読んで劇的に何かが変わるとかではない。

ただ、

自分が生まれつき持ち合わせてたものを

否定すべきものではないのだと知れただけで、

ずいぶん心が楽になるものなのだ。













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