武甲山、そして、高知の白い石

白い、そんなに硬くない、石。

削ると白い粉がでてくる、石。


物部川の上流で見つけた沢山の白い石。

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本山町の吉野川とは全然違う、河原の石たち。



石灰だ。石灰がとれる場所なんだと理解しました。

石灰なら、埼玉でも採れる。

コンクリートの、道路の、セメントの原材料。

埼玉県の西部の山々、

秩父地方の、そして私の実家のある地域の主要産業の一つだから。


高知市内の海沿い、孕マリーナの対岸に見える「太平洋セメント」と書かれた、見たことのあるプラント。

南国市稲生の白い乾燥した風景の通り。

石灰の、産地。

遠く離れた海のないふるさととの

奇妙な共通点を

私が感じたのは、

2年ほど前でした。


そのときは、私は

石にも地質にも興味がなく、

ただ、共通点がない、と思っていた埼玉と高知に

見慣れたものを発見した小さな驚きだけでした。


石灰岩は海のプランクトンやサンゴなどの死骸が長い年月に堆積してできた岩石です。

鍾乳洞ができるのも石灰岩質の特徴で、

鍾乳洞があるエリアは石灰岩のある地帯なのです。

物部川の中流部にも、

日本三大鍾乳洞の一つ、龍河洞があります。

埼玉県にも規模は全然違いますが、

秩父に橋立鍾乳洞というものがあります。

(これも最近知りました)


先日、物部の山奥の河原でその白い石たちを見つけたときは、

本山の吉野川で突如沸いた、

石や地質に対する興味から

勉強が進んでいましたので、

「埼玉と同じ」

という感覚がより強くありました。


埼玉県と高知県は、

同じ地質の連なりの上にあるのです。

それも、

秩父帯という埼玉の地方を冠したものと、

四万十帯という高知の地方を冠したものの二つを、

長い帯の上で、共有しているのです。

(ちなみに高知嶺北地方に見られる三波川帯という地質も長瀞町など埼玉県北に共通しています。長瀞ににていると感じた本山町でみた河原の石は三波川帯の特徴が多かったのかもしれません)


物部川の石灰岩の河原をみて、

不意に思い出したのは


埼玉県の横瀬町と秩父市にまたがる

「武甲山」でした。

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高知県の物部川流域と同じ秩父帯という地質帯に属しています。


武甲山には登ったことはありませんが、

秩父の山で一番よく知ってるのは、武甲山です。

山の名前とその山容が私の中で一致しているのも、

武甲山だけです。


なぜ武甲山が特別か。

木がない山肌が剥き出しだからです。

遠くから見ても、すぐわかります。

そんな山は、他にありません。

なぜか。

人里からよく見える方の北側斜面が、石灰の採掘で、

長い間、削られ続けているからです。

山頂も、採掘の為の爆破で、

かなり低くなっています。


埼玉県横瀬町出身のアーティスト

笹久保伸さんが書いた武甲山に対する記事

是非ご一読ください。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/68367
https://www.google.co.jp/amp/s/gendai.ismedia.jp/articles/amp/68367


私が武甲山を初めて見たのは、秩父の山の端に引っ越してきた高校生のときでしたが、

「なぜこんな山肌なの?」の答えが、

石灰の採掘で、という理由だったのに、

軽い衝撃を覚えました。

石灰を掘るのに、

こんなにも、山を削り壊すんだ、と。

何億年の単位で降り積もった結果の山を

100年にも満たない時間で、こんなにも。




しかし最近もっと驚いたのは、

武甲山が秩父三山と呼ばれる山岳信仰の霊山の一つであり、

ユネスコ無形文化遺産である日本三大夜祭の一つ、

秩父夜祭で有名な

秩父神社の御神体ともいえる神奈備山である、

という事実でした。


秩父三山の他の三峰や、

長瀞の宝登山は、

近年のスピリチュアルブームやアウトドアの観光客も多いせいか、霊峰として丁重に祀られている印象がありますが、

まさか武甲山が

秩父を代表する秩父神社の神奈備山(かんなびやま)だったとは、

全然感じられませんでした。

神奈備山とは、

古来から地域の人の精神のよりどころ、

土地を守る神さまが住うと信じて

手を合わせる対象の山です。


手を合わせつつ、爆破している、

その矛盾した現実にも、

知らなかったまま山を眺めるだけでいました。


別に秩父の人たちに何かいいたいとかではありません。

感謝の気持ちを武甲山に持っているのは確かだと思いますし、

生活の糧として石灰業を選んだことに、

時代の大きな流れの合理性があったのでしょう。

高度経済成長の東京をつくるセメントとして、

前回の東京オリンピック、

そして今回の東京オリンピックを支えるセメント材料として、

秩父の石灰は、掘られ、活用されてきました。


テレビや新聞から流れる

「我が国の経済の発展のために」

は、

すべての矛盾を訴える口を塞ぐような

印籠のような、

強いあがらえない力が、あったのでしょう。


そして武甲山だけでなく、

石灰だけでなく、

今日も「経済の発展」のため、

日本中の、世界中のあちこちで、

山が爆破され、

様々な鉱物があるべき場所から掘られてることに、

今まで無知でいたんですね。

恩恵を受けていたんです。

でも、子どもの子どもの子どもたちへの恩恵って、あるのかしら。

掘り尽くすことが仮にないとしても、

一体、「経済の発展」って、

次世代に何を残すんだろう?

「解決策は、次世代の技術の進歩に任せる」楽観主義もいいけれど、

「そもそも、それって本当に必要なん?」

という問いが、

もくもく沸きすぎて、しんどい今日この頃です。


埼玉に帰るときは、武甲山に登って、

改めてそこにある山の空気を感じたい、と、

高知の川原の石を拾い上げて

思いました。











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