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牧野博士と宮沢賢治その一

次期NHKの朝の連続テレビ小説は「らんまん」という。

高知県民悲願の、牧野富太郎博士を題材にした連続ドラマが実現した。

署名活動が行われていたのを私も知っている。

牧野富太郎氏は高知県内では多大な尊敬を受けている。

牧野 富太郎(まきの とみたろう、1862年5月22日(文久2年4月24日) - 1957年(昭和32年)1月18日)は、日本の植物学者。高知県高岡郡佐川町出身。

我が家の隣のご主人は「えびす様の権現か」と思うような

私が人生で出会った男性の中で5本の指にはいる

思慮深く温厚で親切な方だが、

四つしかない高知の地上波のテレビ局のうち

どこか一つの局の番組のキャストが牧野博士のことを「牧野」と呼び捨てしたことに黙っておられず

おそらくいつものようにやんわりと

「呼び捨てせずに、牧野先生、牧野博士、せめて牧野富太郎氏と呼ぶように」と

直電したそうである。

それを聞いた私は、なんかえらく、感動してしまった。

埼玉県で偉人は数あれども

そんな愛を込めて呼ばれている方は

知る限りおらん。

ちなみに高知県の人が「牧野」と呼ぶのは、高知市五台山にある県立植物園を指している。

これは老いも若きも統一されている。

(遠足の定番コースなのだ)


県立牧野植物園にはデカいキノコを持ってニコニコと立っている博士の銅像がある。

最初見た時「まさかキノコじゃないよね?植物採取の道具かな?」と思ったが、立派なキノコだった。

これを発案した方も、作った方も、企画を許可した方も

野にいる牧野博士のそのままの姿を愛して

尊敬してるんだな、と想像できる。

ニコニコとした写真も沢山残っている方でもある。



牧野博士のふるさとは高知県の佐川町という。

海からは距離がある、どちらかと言うと山山に囲まれた場所。

土佐藩の筆頭家老の拠点だったそうで、

今でもその文化的な名残がよくわかる、

小さいけれど静かで美しい町だ。

私も佐川が好きだ。

用もないのに佐川に行きたくなる。

色んな世代の牧野博士が野に山に自然を愛でた姿が目に浮かぶ。

植物学者ではあるけども、

植物と地質は切っても切れない関係であり、

佐川町周辺の地質が日本でも非常に貴重なことを知っていて

それをとても大事に思っていたのも牧野博士だ。

つづく

☆☆☆

牧野博士の生誕から34年後に生まれ、

牧野博士の逝去する24年前に旅立ったのは

「雨ニモマケズ」の宮沢賢治だ。


宮沢 賢治(みやざわ けんじ、正字: 宮澤 賢治、1896年(明治29年)8月27日 - 1933年(昭和8年)9月21日)は、日本の詩人、童話作家。


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