ピアノで歌いたい
大人になってから何年に1回はピアノ熱があがってくる。
そしてその度に思うように弾くまで至らずに挫折している。
電子ピアノという、
昼夜問わず好きなタイミングで練習できる
文明の利器が我が家にあるのだが、
上の子どもの習い事に、といって4、5年ほど前に購入したものの子どもが1年で興味を失ってからは、
「弾かないのに置いといてもかわいそうだから誰かにゆずるか・・いや、まだ小さい下の子が興味を持つかもしれない、それまで置いとこう。」
という葛藤が何回か繰り返された。
下の子は、幼稚園でまあまあビッチリとマーチングなどをやったので、
「習い事までビッチリ音楽やらんでもええかー」とのびのびにしていたら、いつの間にか
一般的に言われているピアノを始めるには、
まあまあいい歳になっていて、
本人もピアノピアノいわんので保留になっている状態。
このまま下の子にも使われずになる結末も
なくはない、と思っていたけど、
私自身のピアノ熱が、
最近急上昇してきた。
ベーラ・バルトークという音楽家がいて、
その人が作曲したルーマニア民族舞曲集というピアノの小組曲がある。
私のピアノ歴6年余りの最後の小学校高学年の発表会で、
その6曲のうちの2つを弾いたのだけど、
ピアノを辞めてわずかの間ですっかり弾けなくなった。
そして私が楽譜が読めないまま、
先生の手元の真似と自分の記憶力に頼って弾いていたので、
どちらもなくなった状態だと、
楽譜を手がかりには元に戻れないのだった。
そんなわけで、初級程度を修了していたのに
弾きたいのに、弾けそうで弾けない曲ばかりになり、
一曲スムーズに通せるものもなく、
ピアノを習っていましたとは恥ずかしくて言えない感じになっていた。
(挫折しました、とは堂々と言っていたけれど。)
でも、最近、
毎日5分以上ピアノに触るようになり、
加えて楽譜を「読みながら」弾く努力をするようになり、
神経が甦ってきた感じがする。
そしてピアノを習っていたのは無駄じゃなかったんだろうとも、
自分の指の神経の通り方で気づいた。
ゆっくり、
たどたどしくとも、鍵盤を抑えているうちに、
「こんな動きできないよ」と思っていたことが、
次の日サラッと出来る様になっていたりする。
確実に身体が思い出している。
それを実感して、自分自身、驚いている。
思い出してるだけじゃない、
習っていたとき、読みながら弾けなかった楽譜が、
だんだんチラッとみて読めるようになってるのもわかる。
特に左手のヘ音記号の譜面を読むのが苦手だったが、
楽譜と、音と、指が、スムーズに頭の中で繋がるようになってきた。
進化している。41歳にして。
この1か月の間で、
本の読み進め方も変わり、ピアノの練習の感覚も変わった。
私の脳に何が起こったんだろう。
嬉しい、良い変化なのは確かだ。
今日
ルーマニア民族舞曲集の第一曲目を、
たどたどしくも通してさらえた。
それが一番の難関だった。
なんかしらの理由で、いつも挫折していた。
音を両手でさらえるようになったら、あとは指定のテンポで弾けるようになるまで、
繰り返し練習するだけだ。
この小組曲を私の生涯の持ち曲にするのがずっと夢だった。
今日壁を一つ越えて夢が叶う気がしてきた。
30年のときを越えて
課題として渡されてわけもわからず弾いていたあの時と違う、
私の心を乗せた音楽を
近いうちに電子ではなく本当のピアノで、
歌いたい。
↓画像クリックするとバルトーク本人演奏のルーマニア民族舞曲集が聴けます。
(こんなに滑らかに弾くにはエベレスト並みに道のり遠い)
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