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連載7 第二集 はじめに編 『かみさま きょうも おひさまを つけてくれてありがとう』あきとまさきのおはなしのアルバム '88 


【写真・第2集の表紙】
〔表紙・裏表紙説明 紙はオレンジ色です。下4分の1のところになだらかな山が描かれています。その山には残雪があり、山の下には木があります〕

はじめに  広沢里枝子

あき「あっ、あきも いくヨー」
まさき「どーこ?」
あき「まさきと おんなじ とこ」
まさき「マーキも いく」
あき「どこへ?」
まさき「あきと おんなじ とこ!」

 玄関先で、足踏みしながら話し合っていた子供達。ふたりのうち合わせは、これで十分らしく、赤トンボでいっぱいの戸外へ、笑いながら駆け出して行きました。
 子供達の眠ったこの時間、夫の隣りの机に点字板を置いて、夕方のあのふたりの様子を書きとめていますと、なんだかまた、ほうっと心がほころんでくるようです。

 子供達の言葉を書きとめ始めた二年前には、次男のまさきもまだ、ほんの赤ん坊でしたし、幼い兄は、弟に母をとられたような思いで、いらだちをぶつけてくるようなことが、よくありました。それだけに子供達と気持ちの触れあえた瞬間は、もう嬉しくて。書きとめたページを何度も読み返しては、自分を励ましていたことを思い出します。

それでも、そうして書きとめたり、思い返したりしながら、少しずつでも子供達の言葉や願いに、耳を傾けられるようになれたことは幸いでした。子供達が道端で小さな花や生き物を見つけて喜びの声をあげる時、冬枯れのイメージしかなかった私の心にも、春の色が染めあげられていきます。母が気持ちをわかってくれた、ただそれだけで自ら立ち上がって行ける、子供達の姿に出会う度、あせってはいけない、信じて支えてやらなければと教えられるのでした。そう思っていながらも、未熟な面ばかりの私ですが、子供達が私を必要としている時には、気づいて受け入れてやれるように。自らやろうとしている時には、邪魔をしないようにと、自分に言いきかせながら過ごしています。

 しかし、私自身が人との共感を重ねながら自分の枠を広げていかないなら、子供達の気持ちも、じきにわからなくなってしまうことでしょう。「おはなしのアルバム」から生まれた出会いや触れあいを大切に育てながら、私たち夫婦も、もっと成長したい…。そして、子供達に共感し続けようとすることで、人生が二倍にも、三倍にもふくらむような生き方ができればと、希望を抱いています。

 なお第二集は、初めて盲人用音声ワープロにチャレンジした私と、友人達の合作です。今年は、相棒の神山朝子さんに、赤ちゃんがお生まれになったので、なるべく自力で作ろうとワープロに向かったのですが、スタジオズーの宮島さんと、夫と長野リハビリの池田さんと、パソコンの機械を扱えるようになるまでにもすでに三人がかり。十年近く普通の文字が見えなかったハンディーも、思った以上に大きくて、やり直しが続き、あの時、「ひとりで抱えこんで諦めてしまうより、もっと安心して、みんなに頼ってみてはどうだろう」と言ってくれた神山さんの励ましがなかったら、途中で諦めてしまったかも知れません。

 その後、点訳ボランティアの宇野孝子さんに、会話の選択・校正をお願いしたところ、「私でいいの?やらせて」という嬉しいお返事。宇野さんの確かな目で、たくさんのメモの中から選ばれた会話の記録は、繰返し重ねた私との手紙の往復の中で、校正されていきました。そして編集は神山さんに。私の気持ちに立った、心ある編集で、大切にまとめてくれました。その原稿が、更に「朗読リラの会」へ。町の「ふれあい広場」にあわせて、すでに三十部が仮発行され、メンバーは丁寧に印刷製本してくださっただけでなく、私達のことを伝えながら、地域の人々にこのアルバムを手渡してくださっています。点訳グループ「でんでん虫の会」でも、昨年と同様に、快く点訳をひき受けてくださいました。

 一年近くにわたる長いリレーが、やっとゴールに近づいた今、昨年、編集から製本まで、全てをひき受けてくれた神山さんの努力と友情がどれほどだったかと、改めて感謝しないではいられません。そして、その努力を礎に、第二集では、新しく身近に「私の仲間」と信じられる人々ができたことを、本当に嬉しく思います。ですから、このアルバムは、私達家族の暮らしの記録であると同時に、製作にあたったり、色々なかたちで、ここに登場してくださった、みんなの願いを運ぶものです。受けとってくださって、ありがとう。(一九八九年九月)

(連載8へ続く)

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